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考えていても仕方がないと、重い足取りで自室に戻る。剣術の稽古が始まったからといって、楽器や歌を習わなくなったわけではない。三日に一度は、仲松からそれを習っている。
お春は、楽器も歌も聴いたり読んだりするのは好きなのだが、実際に自ら演奏したり詠んだりするとなると話は別である。
部屋の前で、仲松が慌てているのが見えた。彼女はお春の姿を認めると、側に駆け寄ってきた。
「春姫様、探しました。お殿様がお呼びです」
「お養父上様が?」
「はい。お急ぎ下さい」
仲松に付いて政高の待つ部屋へ向かい、中へはお春だけが通された。上座に政高、そして重経、和尚が居並んでいた。
「そなたに、風宮へ行ってもらいたい」
お春が着座すると、すぐに政高が口を開いた。
「風宮にございますか」
「左様。風宮と三国の動向を探ってもらいたい」
「何故、わたくしが」
怪訝な顔を政高に向けながら、お春は首を傾げる。風宮へ行くのには、他に適任者がいるだろうに。
「そなたであれば、怪しまれにくい。それに武芸にも通じておるゆえ、何かあったときに己が身は守れる」
「わたくし一人で行くのですか」
「いや、重経が同行する」
お春はちらりと重経の方を見るが、能面のようなその顔は何を思っているのかわからなかった。
「恐れながら……。わたくしでなくとも、他に……」
「何だ」
異論を認めぬ雰囲気に、お春は口をつぐむ。重苦しい空気に耐えかね、お春は平伏した。
「……身命を賭して、務めさせて頂きまする」
「そうか、行ってくれるか。されば明後日には出立いたせ」
言葉少なに政高は言うと、お春と和尚を残して、重経を伴って部屋を出ていった。
「春姫様」
「はい」
和尚が近づいてきて、懐から何やら取り出し、包んであった布を開いた。黒漆の短刀である。
「これは?」
「お父君・長高様の形見にございます」
「父上の……!」
お春の目が大きく見開かれる。
「戦の折、長高様から仲松殿へ預けられ、拙僧が今日までお預かりしておりました。姫様に持っていていただきたく、お持ちいたしました」
和尚から短刀を受け取り、刃を鞘から抜き日にかざした。中切先に、中直刃の刃文の短刀である。
「風宮へ行く際にお持ちください。きっと、お父君の御魂が、姫様を守ってくれましょう」
「和尚様、ありがとうございます」
「道中、お気を付けくだされ」
「はい」
大事そうに短刀を胸に抱く。少しは不安が拭えたのだのだろうか、お春の表情が和らいだ。
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