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高々とヒールの音を鳴らせて乗りこんで来たのは、黒髪に黒縁の眼鏡をかけた女だった。二つに束ねた髪を、制服のような紺色のベストの肩口に流している。白いブラウスに赤いリボン、ベストと同じ色のタイトスカートというその恰好は、仕事場から抜け出してきたようだった。
眼鏡の奥の化粧っ気のない目が店内をぐるりと見回す。
ぱっちりとした目元には明らかな怒気が滾っている。顎にシワをよせて唇をへの字につぐんで、荒ぶる鼻息。腕を組むと「ちっ」と舌打ちが聞こえて来た。
その顔にも見覚えがある。梶さんの知り合いで、草薙さんと同じ組織の牧野さん、という女だ。草薙さんは俺たちの同業者だが、牧野さんは彼らをサポートするオペレーターだったはずだ。
目が合えば噛みつかれそうな気がして、俺は自然になるように顔を背けた。
明石も明石でおしぼりをいじって、入り口のほうを見ないようにしている。
下手に関わらないほうが良い気がする。俺たちの危機回避能力が最大限に発揮されている。
水のはいったグラスに手を伸ばし、気まずい空気をやりすごす。
店内を見回していた牧野さんはやがて、豪快なため息をついて身を翻した。勢いよく鳴るベルがその怒りの度合いと退店を知らせる。ヒールの音が遠くなっていった。
「……行ったか」
草薙さんは少しだけ顔をあげて周囲を探る。
堪えきれなくなった明石が、おしぼりを放り出しながら笑いはじめた。
「ものすごく怒ってましたね。追われているんですか?」
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