2 - lost

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2 - lost

 八月十一日。  夏にしては肌寒く、機嫌を著しく損ねた空は不穏な音を立てながら頭上を覆っていく。  遠くに見える空には入道雲が並び、人々はそれから逃げるように足早に道を歩く。  人が歩くより早く空を覆っていく入道雲は間もなく空を灰色に染め、ここぞとばかりに轟音を立てて暴れ始めた。大粒の雨が降りだし、雷の閃光が木や家のアンテナに向かって落ちていく。  雨宿りの宛のない人々の一人たるリオは、雨に打たれながら屋根のある場所に駆けていく人々を無関心に眺めていた。遠くで電車の音が聞こえ、後に続いて傘を差した人々がぱらぱらと通り過ぎていく。  無関心に通り過ぎていく人々を眺め飽きたリオは俯き、その場から去ろうと歩きだそうとした。  「―いてっ!」  振り向きざまに誰かにぶつかり、反射的に漏れた声が正面から聞こえた。  「あー、すいませ…」  いくらか通る青年の声。  リオの頭一つ分背が低い青年は慌てた様子で顔を上げて謝罪の言葉を続けようと口を開け、リオの顔を視界に収める。リオは動じた様子もなく同じように相手の顔を視界に収めてみるが、青年に対する返答をする気はなく口をつぐんでいる。  その青年の顔色が驚愕の色に変わる様が、妙にゆっくりと感じられた。  「―龍兄?」  青年の口から出た言葉は、本人もリオも予想外だった。  「あ…す、すいません変な事言って」  青年は我に返り、慌てて言い繕う。  「それじゃ失礼しました!」  遠くで何度目かの電車の音が聞こえ、一瞬眉をひそめた青年は早口で別れの挨拶を済ませて駆けていった。リオは無意識にその姿を目で追い、青年が口にした名をもう一度反芻していた。  「(…龍?)」  その名に覚えはないが、ざわめき立つ感覚に僅かな懐かしさを覚える。  降り続く雨を見上げ、リオはその場を後にした。
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