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「そんなこと……」
「いやいや、早死にしますよ。自分の体ですからね、分かるんです」
「大丈夫ですわ、きっと。社長さまのご酒は、楽しいご酒ですから」
初めて聞く言葉だった。「楽しく飲まれていますね」と言われたことはある。美味い酒と感じることはある。しかし楽しい酒は知らない。、女将のその感性に眩しさを感じる武蔵だった。
「楽しい、酒ですか?」
「そうです」
キラキラと輝く笑顔を見せて、きっぱりと答えた。そして
「こんなご酒を召し上がられるなんて、よほどに素敵な奥さまなのでしょうね」と、拗ねたような表情を見せた。女将の意図が掴めぬ武蔵は
「ところで、女将のご主人は?」と、すり抜けた。
「宅は、グチの多いご酒でした。偏平足ということで、あっ、おたまちゃん! 社長さまに、白湯をお持ちしてね」
縁先を通る仲居に声をかけた。分かりましたという声を聞いて、振り向きざまに
「社長さま、奥さまはどんなお方ですの?」と、武蔵をなおも混乱させた。
「ハハハ…残念ながら、独り身です。昨夜も、女性陣に責められましたよ」
「あら、残念! 私が十(とお)も若かったら、押しかけましたのに」
「女将なら、歓迎しますよ。大歓迎です」
「お上手ですこと。社長さまのことですもの、あちこちに、いい方がいらっしゃるでしょうに」
久しぶりに、ゆったりとした気分に浸る武蔵だった。
“そうだな……そろそろ、身を固めてもいい頃かもしれんな”
「ご苦労さん、おたまちゃん。お連れの方は、どうしてらっしゃるの?」
「はい。先ほどお伺いしましたら、まだお寝みでございました。」
「そう、分かったわ。お目覚めになられたら、“社長さまはお庭にいらっしゃいます”と、お伝えしておいてね」
武蔵に対し、深々とお辞儀をして仲居は辞した。
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