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「翼よ、あれがキャバレーの灯だ!」
服部が指差す先に、煌々と光るネオンサインがあった。
「すげえ! キャバレーだぜ、おい。」
打ち沈んでいる竹田の肩を叩きながら、山田がはしゃぎ回る。
「専務、あそこですよね。あの、ムーラン・ルージュという店ですよね」
興奮気味に、服部が念を押す。 専務と呼ばれた男、加藤五平が慇懃に答えた。
「ああ、そうだ。社長に言われたのさ。お前たちを遊ばせてやれとな。今まで頑張ってくれたからな」
大ホールの天井では、中央で輝くクリスタルが眩いばかりに光を反射していた。磨き込まれた床の上では、深いスリットの入ったチャイナドレスに身を包んだ女給たちが男たちとダンスに興じている。ホール奥の一段高いステージ上では、フルバンドで音楽が奏でられている。全くの別世界に迷い込んだように、三人は感じた。
「いらっしゃいませ、加藤さま。今夜は部下の方ご同伴ですか。おや? 社長さんはどちらに?」
「うん。今夜は、社長は欠勤だ。どうやら、皆勤賞は俺が頂きだな」
ボーイと軽口をたたき合いながら、その先導ですすんで行く。
「加藤さま。月に二回や三回では、皆勤賞は上げられないですよ。せめて、週一回はお出でにならなくちゃ」
「そうか、そりゃ厳しいな。懐と、相談しなくちゃな」
「何を、おっしゃいますやら。評判ですよ、富士商会さんのことは。独り勝ちしてらっしゃると」
「ハハハ…他人の庭は良く見えるもんさ。今夜は、若い者を楽しませてやってくれ。こいつらなら、皆勤賞を取るかもしれんぞ。いい娘を、付けてやってくれ」
深々とお辞儀をして立ち去ろうとするボーイに、五平はそっと札を握らせた。
「いつもお気遣い頂いて、ありがとうございます」
そうか、俺も他人にうらやまれる男になったか。いや、妬まれるほうか…? しかし人生ってのは、分からんものだな。どこぞでのたれ死ぬ運命だろうと思っていた俺だが。軍隊に入って、女衒という生業がばれてからというもの、地獄のような毎日を送っていたものを。
これまでかと腹を決めたときに、武さんが現れた。こんな俺なんかをかばってくれて、一緒に殴られ続けてくれて…。結局、武さんの御手洗という苗字にかこつけて、便所当番を言い渡された。
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