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(二十一)
「あら?素敵な小物入れね。あなたには、ちょっと似合わないわ。あたし位の年齢にならなくちゃ」
武蔵がトイレに立った折に、初めて席に着いた典江が小夜子に詰め寄った。
武蔵からのプレゼントだろうと、あわよくば取り上げてしまおうと考えた典江だ。
「こらこら、人の物を欲しがるな! お前さんの悪い癖だぞ 」
すかさず、梅子が嗜める。首をすくめて、その小物入れを小夜子に戻した。
「これだけは、だめなんです。あたしの宝物なんです、アーシアに貰ったものなので」
頬ずりせぬばかりに、胸の前でしっかりと抱きしめた。
「あらっ? この絵柄…えっ! ま、まさか……。これ、アナスターシアから貰ったの? どうやって貰ったの? 何々、何て書いてあるのよ! 」
特異なロゴを目ざとく見つけた典江が、声を荒げた。
「“小夜子へ、アーシアより” ですけど」
「どういう関係…ちょっと待って。あなた、さよこって言ったわね? ひょっとして、ファッションショーに出なかった? 」
「マッケンジーさんのですか?」
典江のあまりの剣幕に気圧された小夜子は、小声で聞き返した。
「ああ、そうなんだ。そうよ、あなただ。あたしのこと、覚えてないかな。うん、うん。見覚えがある、とは思ったけど。そっか、あなただったんだ」
ひとり悦に入る典江に、おしゃべりに興じていた他の女給たちが口を揃えた。
「なになに、どういうことなの?」
「この小夜子ちゃんが、あたしの敬愛するアナスターシアのお友達ってことですよ」
小夜子をしっかりと抱き寄せて、得意げに典江が言う。
「あゝ! 雑誌に載ってた、新進若手モデルって、この子?」
「うーん、なんとか小夜子……そう、たけだ、竹田小夜子だ。ね、雑誌にね、載ってたよね 」
小夜子の両手を大きく上下させながら、典江が興奮している。
「そうなんです。掲載しない筈だったのに、載せられちゃって。おかげで学校にバレちゃいました。退学騒動になっちゃって。で、わたしは退学でも良かったんですけど、停学処分に決まって 」
「良かったじゃないの。退学というのは、だめよ。あたしは、退学なのよね。でさ、父親のコネを使って就職を狙ったけど、だめ。あたしの素行不良がたたって、父が諦めました 」
「何だ、そりゃ。情けねぇ親だな。ごり押しすりゃいいのに。俺だったらやるぞ。可愛い典江の為ならば、だ!」
後ろから武蔵が、顔を覗かせた。
「イヤだもう、社長ったら。 どさくに紛れて、どこ触ってるの。珠江ちゃんがにらんでるう!」
武蔵に言われるまま、小夜子は店を早退した。
「この時間では、あそこだな。本当はビーフステーキでも、食べさせてやりたいんだがな。そうだ、休みの日に時間を作れ。銀座一の店に連れて行ってやるぞ。うん?」
「ほんと? ビーフステーキをご馳走してくれるの? 約束よ、絶対よ」
小夜子は目を輝かせて、武蔵を見つめた。
「それに、服も買ってやろう。小夜子には、もっとレディになって欲しいからな。俺の愛人にしては、その服は見すぼらし過ぎる」
「嬉しい! 約束よ、きっとよ。今度の日曜日で良い?」
武蔵の周りをスキップしながら、小夜子は満面に笑みを湛えた。鮨店の座敷に上がりこんだ武蔵は、小夜子のお酌を楽しんだ。
「いゃあ、小夜子の酌で飲む酒は格別だ。同じ酒でも、まるで味が違う」
「ホント? 美味しい? 私も、少し飲んでみようかな?」
上目遣いで、手を休めて言った。
「よし、飲んでみるか?」
武蔵は新しいお猪口を持って来させた。半分ほど注いでやると「いっぱい、入れて!」と、小夜子は不満げな顔を見せた。
「ハハハ、まっ、少し飲んでからだ」
「いゃ! 飲めるわよ、その位は」
「分かった、分かった」
小夜子は溢れんばかりのお猪口を、恐る々々口に運んだ。半分ほどを口に入れた途端、ぶっ!と吐き出した。
「辛い! なにこれ、ちっとも美味しくないわ」
眉間にしわを寄せて、武蔵をじっと見つめた。武蔵はニタニタと笑いながら
「おいおい、勿体ないぞ。まだ小夜子には、無理だな。大人になれば、この味がわかるさ。」と、小夜子のお猪口を手に取った。
「どれどれ、小夜子と間接接吻でもするかな」と、一気に飲み干した。
「いやだ、間接接吻なんて。社長さんの助平!」
はにかんだ表情を見せながらも、小夜子の目は笑っていた。初対面時の嫌悪感は、今ではまるでない。頼り甲斐のある男と、感じていた。
「ねえ、社長」。 甘えるような声で、「この間の話、覚えてる?」と、武蔵を覗き込んだ。
「なんだ? どんなことだ。言ってごらん」
「覚えてないの? 梅子姉さんが『お酒の席での話は、間に受けちゃだ!』って言ってたけど、やっぱりか…」
肩を窄める小夜子に対し、
「うーん、覚えてないが…。言ってごらん。小夜子の頼みは、何でも聞いてやるから」と、身を乗り出した。
「わたし、一人暮らしをしたいの。窮屈なのよ、今のお宅は。色々お小言を聞かされるしさ」
「そうか、お小言をな。それが当たり前だろうな」
「違うの! 女が社会で活躍することは、そんなにいけないことなの? 家に閉じこもっていろと言うの? そんなの、男の横暴よ」
小夜子の頬は、ほんのりと赤みを差していた。吐き出した筈の酒に、少し酔ってしまったようだ。
「分かった、分かった。これから女性の社会進出は、当たり前のことになるさ。その先進グループに入りたいんだな、小夜子は。しかし一人暮らしは、どうなんだ? あゝ、思い出したぞ。『愛人になれ!』と、口説いたんだ。だけど小夜子は、即座に『イヤッ!』と言ったんだ」
「それはそうよ。私には好きな人がいるんだから、愛人はイヤ!」
“奥さんなら、いいかも…”
突然、思いも寄らぬ言葉が浮かんだ。危うく、口の端に乗せそうになった。
“な、なに、考えるのよ、あたしったら。でもどうせ、間に受けはしないでしょうけど”
ぽっと、頬を赤らめた小夜子だ。
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