風邪引き

5/41
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/41ページ
 日が沈んで暗くなると、彼の世界も幕を下ろして闇に飲まれ、彼の気持ちは行く手を失う。だから塞いでしまうのだろう。 「おれのことを愛している?」 「ええ」 「なら、殺して」 「そんな」  今日の彼はとりわけ塞ぎこんでいた。布団に潜り込まないでリビングに出てきてくれるだけましだ。  背の低いテーブルの前に、膝を抱えて座っている。朝彼女が家を出てきた時とほとんどいる位置が変わっていない。  間違い探しのように、朝と違うところに――異変に気づく。  彼の目の前のテーブルの上にある、果物ナイフ。ツナ缶。  ツナ缶を食べるのにナイフなどいらない。  しかし使った形跡も見られない。部屋の電気を映して寂々と、なぜか腹がすわったように光っている。  こんなふうに落ち着き払って、触れてくるものを切り裂くのだろう。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!