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笹野エレナに呼び出されたのはいつもの焼肉屋だった。おいしそうに見えていた肉は味気ない。頭に焼き付いた焼肉の資金源が私の味覚を壊しているのだ。この肉は罪深いもので作られている。売春は違法だが、それはいまさら言えない。私は肉をたくさん食べてきたから。
網の上で肉が躍る。炭火から逃げるように縮れていくそれは苦しげな生き物にみえた。運ばれてきた時には大きい肉もここでは容赦ない。その変化にやはり生澤を思い出してしまうのだ。
いやがらせをやめた時、生澤の体は大人に近づいていて私の身長を超えていた。それだけではない、生澤の心も強くなっていたのだと思う。何をされても目を伏せず、むしろ射抜くように鋭く私をにらみつける。やられたらやりかえすの信条が完成しようとしていた。
その反抗的な態度に私は生澤を手放した。「もうやめる。飽きちゃった」と、声にだしてみればあっさりとした言葉だった。
それを聞いて、机の落書きを消そうとしていた生澤の手がとまる。言葉の真偽を問うように見開かれた瞳が私をじっと見つめていた。いやがらせが終わるのだから喜べばいいのに、捨てられた子猫みたいな顔をしている。私も、そのまなざしを受けながら言いようのない虚しさを抱いていた。
まるで、ぎりぎりまで細くなってちぎれた糸。寂しさと似ている。糸きれをごみ箱へ捨てても気づけば服についている、元には戻らないのに。
私と生澤を繋いでいた糸はいやがらせという名をしていて切れてしまった。その喪失感に私も、おそらく生澤も、怯えていた。
もしも失わなかったらどうなっていただろう。私は私でなくなるかもしれない。きっと生澤も生澤ではなくなる。
糸を切らなければ沼に落ちていた。得体の知れぬ沼に飛びこむ勇気はない。中学一年生は青かった。
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