ファムファタルの沼

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 ひとまわり年下の女を相手にするのだから騙して逃げる手もあっただろうに、金持ち男は律儀だった。茶封筒に入っていたのは十万円。これが高いのか安いのかはわからないけれど、実際に手にしてみれば虚しいほど軽い。これから何十年生きるかもしれない女のはじめてが、この金額だ。福沢諭吉が十人そろっても茶封筒は立ち上がらない。それなら学問のすゝめの方が分厚くて有意義な気がする。  その後は笹野エレナが主催する焼肉会へ参加した。支払いはもちろん私である。一仕事終えての肉は大層おいしいだろうと思ったが、そんなことはなかった。ひとくち食べるのも億劫で、具合が悪いと言い訳をつけ、十万円の入った茶封筒を残して帰った。きっとおつりはでるだろうが、いままでごちそうになってきた分の清算だと思っている。今後の焼肉会に参加する気はなかった。高校生の沼はもういらない。いまの私は、もっと面白い沼に沈んでしまったから。  帰宅してシャワーを浴びる。髪を乾かすのは面倒だった。火照った体をTシャツで覆うと、ふき取り切れなかった水滴がシャツと肌を密着させる。鏡を覗きこめば、そこにいるのは女子高生より獣臭い女がいた。インターホンが鳴る。その格好のままドアを開くと、そこにいた男は一瞬ほど息を呑み、それから私をにらみつけて言った。 「……お前、最低だな」  生澤に連絡を入れていた。焼肉会が行われたこと、それを抜け出して帰ったこと、今日この家に誰もいないことも。返信はなかったが既読はついたから来るだろうと待っていた。  私はにたりと微笑み、家にあがるよう促す。靴を脱いでも不機嫌な男はお邪魔しますとさえ言わなかった。
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