鼓豆虫

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 私はそれから3日間、仕事も休んで家で過ごした。  夫はやたら甲斐甲斐しく私の面倒を見、家事をほぼすべてやってくれた。  子供たちも最初はかなり戸惑っている様子だったが、割とすぐに馴染んでいろいろと手伝いをするようになった。  私はぽっかりと穴の開いたような心を持て余していた。  少し一人の時間があると、スマホを見て松永さんからもしかして連絡が来ているのではないかと期待してしまう。  もちろんそんなことはなくて、私は涙をこらえながらスマホを閉じる。  退院した翌日に、中山先生からメッセージが来た。  長文で、私の体調を気遣い、あの日は逃げるように帰ってしまってすみませんでしたと謝罪の言葉が綴られていた。  メールの内容によると。  あの日中山先生は、私から全然メールの返事が来ないのに業を煮やして、直接話をしようと私の勤務先まで来ていたそうだ。  私が車に乗ってしばらくしたときに、少し離れたところに停まった黒いセダンは、言われてみれば中山先生の車だったかもしれない。  いるはずのない人の車だったから、私は気づかなかったのだ。  私が車から出てきたのを見て、中山先生が声をかけようと車のドアを開けたときに、松永さんの乗ったタクシーが道の端に停まり、一部始終を目撃することになったのだとメールには書いてあった。  あれ、ずっと見られていたんだ…  私は今更ながらに羞恥で頬が染まるのを感じた。  降りしきる雨の中、松永さんが去ってもずっとうずくまったままの私を心配して声をかけてくれたのだそうだけど、私がまったく反応しないのを見て家に電話をかけたとのことだった。  家の電話番号は、以前、院長がうちに電話をくれたときにメモを見て暗記したのだという。  昔から数字の羅列を暗記するのが得意で、電話番号くらいの桁数なら一度見たら忘れないのだそうだ。    私は凄いなあ…頭のいい人は違うなあと素直に感心する。  私もそんなに頭が良かったら、今みたいに悲惨なことにはなっていないのかな、などと埒もないことを考えた。  中山先生の文は続く。  松永さんと私を見ていて、自分の入り込む余地はないということを痛感したと書いてあった。  そしてもし、自分が深雪さんとつきあっても、最後が松永さんのようにならないとは限らないのだと気づいたと。    深雪さんをあんなに傷つけてしまったのは、彼(松永さん)にとっても本当に不本意であったのだろうと推察すると綴っていた。  自分はそうならないためにも、深雪さんのことは諦めることにした、メールもこれで最後にするとあり、最後に一言。    『今までありがとう。  深雪さんの信じる道を邁進してください、応援しています 中山』  読み終わると、私は返信を書こうとしてやめた。  連絡先から中山先生のデータを削除する。    これで、終わり。  すべて終わったんだ。  
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