六、集中線

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 塾に行くというのは嘘だった。  さっき事務所でイヤホンして聞いていたのは、きっとリスニングではなく洋楽だったのだろう。カバンを駅のロッカーに入れて、代わりに隠していたギターケースを肩に下げている。光っていたのは、ギターケースの留め具部分だった。  一瞬でそう推理した美矢は、倫太郎の各小説の主人公より頭がいいんじゃないか、とさえ関揚げる余裕と戸惑いが交差した。  だが龍星なら、きっとそうだろうと確信できる。  美矢の前で見せている少年の姿より、こっちの姿の方が納得できたからだ。 「あの少年は……」 「倫太郎さん、逃げて。あいつから逃げましょう」 「え、ああ、でも」  歯切れの悪い言葉だったが、埒が明かないと踏んだ美矢は倫太郎ではなく、奥さんの手を掴む。 「この綺麗な奥さんがどうなってもいいの。行くよ」 「おい、こら、まて」 「ミャーさああああああん」  良く通る声だった。  流れていた人ごみが、一斉に龍星の方へ視線を向けた。龍星は大きく息を吸いこんで、手すりに捕まって叫んだ。 「俺のミャーさあああん」  肺活量、すごいなあと他人事のように思いながらも振り返らず、時が止まったような人ごみの中を掻きわけていく。 「行かないで、――行かないで、ミャーさん」  ならば追いかけてこいと思うが、振り返ると龍星は二階の歩道橋の真ん中で、美矢を見ているだけだ。 「……ほんと、俺はミャーさんのモノなのに。ミャーさんは俺のモノじゃねえんだから」  聞こえないような微かな声。兄ならば聞こえたんだろうな、と龍星の唇の動きを見ながら駅の中へ逃げて行った。
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