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もちろん目の前の少女に、おもむろに背中のバッグから蜜柑を取り出して投げたり、窓を開いたりするそぶりはない。それに、新幹線は時速三百キロメートルで走ってるんだ。時速三百キロメートルで飛んでいく蜜柑。プロのキャッチャーでもお手上げだろう。第一、新幹線の窓は開かない。電車はどうだろうか。時速百メートルで飛んでいく蜜柑。小説に出てきた弟たちが何歳かは知らないが、キャッチするのは至難の技に違いない。
外は半ば暮れていた。空の上半分が青く、下半分が茜色と言った風に、薄膜で仕切られているような空だった。太陽はいつのまにかオレンジ色のボールになっていた。遠くに見えるのは棚田だろうか。夕日に照らされ、燃えるような田んぼが階段状に連なっている。耕しにくいだろうな、と思った。収穫大変だろうな、と。
客車と客車を繋ぐ扉が開いた。車内販売だ。重そうなカートから手を離し、若いお姉さんがゆったりと礼をする。律儀に一つ一つ席を見回りながら、僕たちのところまで来た。お姉さんは微笑んで、「飲み物はいかがですか」と、小声でささやいた。ほかの乗客に配慮する必要なんてないはずなのに。
「じゃあ、オレンジジュース一つ」
喉も乾いてないのに僕は頼んだ。財布を取り出す。百五十円になります。ごそごそ小銭を探す。二十六円。桜花、ましてや桐ひとつ、入って無い。虎の子の一万円札を差し出した。
「お連れ様は、なにかいかがでしょうか」
お姉さんは少女を見た。少女は気付いていないようだった。
「じゃあ、オレンジジュース、二本で」
お姉さんはお釣りの千円札が九枚だということを、これでもかとお姉さんは確認し、のろのろと後方へ消えていった。
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