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【1】
四月、上野公園は桜の時期だ。
池の向こう、木々の隙間から薄紅色が見えて、それ以上に、満開の桜めあての人々が目に入る。
不忍池も、空いてるのは湯島側の一角ぐらいだろう。
「これが広小路まで流れてくれればいいのに」
桜を見にきたわけじゃないし、好き好んで人混みに突っ込みたくない。
どうするかな、とりあえず不忍通り側を見てみるか、と遊歩道を歩く。
池のほとりのベンチに一人座るジジイが見えた。
お爺さんでもなく上品なお爺様でもなく。
色あせた薄ピンクのジャンバーにゴム長をはいたジジイが、ベンチに新聞紙を敷いてぼんやり池を眺めている。
すぐそこに満開の桜があるのに、蓮の葉が浮かぶ不忍池を。
華やかな世間の賑わいから取り残されたように見えて。
俺はジジイに声をかけた。
「何を見てるんですか? 蓮は蕾もまだでしょう?」
「あン? なんだ兄ちゃん、俺ァ何も買わねえぞ?」
べらんめえな、けど明るくハキハキした喋りに驚く。
よく通る声は、俺の耳にすうっと入ってきた。
「押し売りじゃねェんだったら兄ちゃんも座れよ。どうせ俺ァひまだからな」
ジジイがガサガサと新聞紙を広げる。
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