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「あたしもコンビニなんで……大丈夫ですよ」
傘を少し彼の方へ寄せて歩くと、その彼はいきなり菫の傘をぐっと握って、菫の方へ傘を寄せた。指が、少し触れた。
「お姉さん、濡れてる濡れてる。俺のせいで風邪引いちゃうよ」
「ありがと。大丈夫よ」
お姉さん……か。この彼はいくつなんだろう。いつの間にか30代も目の前に見えてきた。いつの間にか、大人というカテゴリーでもお姉さんと呼ばれるようになってきた。
「俺、アキラって言います。俺、お姉さんのことこのビルで何度か見たことありますよ」
屈託のない、なんの添加物も入っていない笑顔だった。
「そう……。あたしは、小早川。8階で働いてるの」
「小早川って。名前、何て言うんです?」
「名前? いや、ちょっと恥ずかしいな。ま、菫っていうんだけど……」
「へぇ、すみれさん。綺麗」
アキラはあの時、特に何も考えていなかったろう。実際、出会った時のことをアキラはほとんど覚えていないのだ。
でも……。綺麗と言われるのは嬉しいものだ。容姿はもちろんだが、名前を綺麗と言われると、両親を褒められたようで、嬉しかった。
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