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飛行機のゲートが開くまではあと四十分。俺たちは九十二番ゲートの側のベンチで珈琲を手にぼんやりと昼下がりの飛行場を眺めていた。
ふと握っていた航空券に視線を落とし、俺は思わず首を傾げた。
「ねえ、これなんて読むの」
「ウラジオストク」
あまり聞き覚えはないが、確か最近日本の首相が訪れた所がそこではなかったか。
「サーシャはそこに住んでいるの?」
「いいえ、彼は今家族と共にサンクトペテルブルクに住んでいる。ただウラジオストクにも家を持っていて」
よく分からないが、サーシャは相変わらず度肝を抜く金持ちだという事はよく分かる。
「この時期のサンクトペテルブルクもモスクワもとても寒い。それにとても時間がかかる。ウラジオストクは日本にとても近いし、気温もマイナス十度前後だから初めての旅には良いだろうと、トルストイ氏が棗の事を想って決めたのだよ」
天羽さんはどこか嬉しそうにサーシャの気遣いを教えてくれはするが、そもそも俺が行き先を知らなかった事には驚かないらしい。
航空券の手配から観光ビザの取得まで、全て天羽さんに言われるままで、挙句行き先はサーシャに決められるだなんて、初めてとは言えまるで子供扱い。二人ともひと回り以上歳上だとしても、俺だってもう立派な大人なのに。
「パスポートは……」
聞き飽きた確認の答えは、拳で肩に渡してやった。驚きながらもまた眉を下げる天羽さんから視線を逸らし、俺はわざとらしく剥れてみせる。本当はモスクワに行きたかった。天羽さんが全てを捨て、生きる事も捨てた場所。街角に蹲りどんな景色を見ていたのか、知りたかったのに。
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