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その横顔を眺めていると、天羽さんは微かに細い息を吐いた。
「怒っている?」
不安になって問い掛ける。驚いて視線をこちらに向け、しかし彼は直ぐに困ったような笑みを零した。
「いいえ」
ほっとしたのも束の間、天羽さんは直ぐ何時ものように眉を下げた。
「ただ、心配ではあります」
なにが、と問う俺へ流れた視線が、不穏に揺れている。
「トルストイ氏の奥様に会う覚悟はありますか」
「……どう言う意味」
サーシャの妻に会う事は全く想定していなかったが、会ったところでどうだと言うのだ。まさかサーシャが俺の事を話しているとも思えない。だとすれば、天羽さんの言いたい事はひとつだろう。
「俺が嫉妬をするって?馬鹿なことを言うなよ。あるわけない」
「そうだろうか」
「バカバカしい」
これを機に店の締め作業に向かおうとする俺の腕を、天羽さんが慌てて引いた。
「怒らせてしまいましたか」
「当たり前だろう」
マフィアを相手に世界を飛び回る殺し屋は、こんなにもか弱い俺が睨み付けただけで怯む。それを良いことに、胸ぐらを掴み上げ、睨め上げた。
「俺の愛は、貴方だけのものだ」
しろい頬が燃えてゆく。それだけで怒りが鎮まってしまうのだから、俺も人が良い。
「あと敬語、使いすぎ。十回って事にしてあげるから」
胸ぐらを掴んでいた指先を解いて、耳の後ろをくすぐってやる。天羽さんは驚いて肩を竦めながら、至近距離に迫る俺から逃れようと足掻く。だがバーの小さな椅子ではたかが知れている。
「帰れないよ」
低く吐き捨てると漸く観念したのか、彼は何時ものように真っ赤な顔で俺のくちびるに啄ばむようなキスをした。敬語を使ったらキスの罰が馴染んできた事に喜びを感じたとは言え、当然満足なんか出来るわけがない。辛抱のない俺は、自ら彼のくちびるに口付けた。これもまた、何時ものこと。
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