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部屋の中にいる男は驚いて顔を上げた。ピタリと音が止まる。それをいいことに西野は遠慮なしに扉を開け、ずいっと中に入る。
「ちょっと、邪魔するぞ」
「え? 何? 誰?」
キョトンとする彼は、柔らかそうな茶色の髪。染めているわけではなさそうだ。大きな猫目を更に見開き、ぽかんと口を開け、至極当然な質問をした。
「俺のことは気にせず練習してくれ」
「はあ?」
困惑する彼は、そこに居座って腕組みした西野に首を傾げた。
「いいから弾けよ」
「何やって(何なんだよ)」
「気にするな。俺は空気だ」
「意味分からん(分かんね)」
次第に苛立ちを募らせる黒い男。西野は黒が好きだ。上着もズボンも真っ黒。そんな不審な男が急にやってきて「俺は空気だ」と言う。確かに意味が分からない。
「調子狂う。もしかしてこのピアノが気に入っとーと?(気に入ってるの?)」
「ああ?」
「俺も好きなんよね。こいつ」
いとおしそうに鍵盤を撫でる彼を、西野は無言で見つめた。半開きになった口をそのままにしていたが、やがて表情を変えることなく答える。
「……別に、それは気にしたことない」
「そう。なんだ、この部屋が空くの順番待ちされとーとかと思った」
ははっ。
茶髪の彼はホッとしたように笑った。
「実家のピアノと似たタッチで、なんか好きなんよね」
そして彼は鍵盤に指を乗せる。西野はぐっと身を乗り出して最初の一音を待った。
「……変なやつ」
彼はもう一度振り返り、困ったように笑った。そしてピアノに向かい合う。
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