第3章 やさしいひと

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 馬鹿らしいとばかりに、ノルマを達成していないのにジャージの上着を肩にかけて、背中を向けた。 「ちょっと! 僕まだ練習中なんだけど!」 「……うっせ」  抗議の声をあげる葵を置いて、さっさと歩き出した。それまで朝早く起きていたのがまるで無駄だったように、それ以上の言葉は重ねずに、歩き出す。  望長は引き留める声も出さなかった。それに、口の中に残ったエネルギーバーが喉にはりつく。彼の特訓を受けてから、酷く空腹を覚えるようになった。竜使いは、小柄でなければならないと思っていたので、そんなものを考えてはいけないのだと思っていた。母親はおやつを出すことも無かったし、余計な小遣いも与えられなかった。才能がないのだと教えられても、母は祖父たちと同じ生活を紅鏡にも与えた。 「あー、くそ」  売店は、校舎の建物の一階、食堂脇にある。練習場所である校庭から向かうと他の部活をしている練習生を横切る形になる。陸上部が必死に走り抜けている間を横切る気持ちになれず、売店への道はあきらめた。それより、校舎の後方にあるドーム状の建物へと、校庭脇から向かう。校舎後方のドームは、中が植物庭園になっている。蝶や動物も中で放たれて、自然の食物連鎖が中で保つようにされていた。その食物連鎖の頂点に居るのが、竜だ。 「おっ、来たか」  褐色の肌に、優れた体躯を持った大男がドーム入口の花壇に腰掛けていたのに振り返る。 「お前、やっぱり逃げて来たな」  このドームの管理人、サヴァランは読んでいたらしい雑誌を置いて立ち上がった。紅鏡の兄より少し年上らしいが、年齢が分からない彼はいつも棒キャンディを咥えている。 「うるせーよ」  憎まれ口を叩こうとするとすぐににやりと大人の男特有の笑顔が返ってくる。サヴァランは、火星生まれのコロニー育ちで、見事な体躯と竜の飼育へ特別な許可が下りるほどの技術をもつ生物学者だった。白衣こそ着ていないが、技術職員という形で雇用されているため、こうしてドームの管理人としての役割も追っている。  それから、この学校の中で数少ない紅鏡の理解者だった。 「坊主、良いから中、先入ってろ」  ドームの中に入るには、解除コードが必要になる。それと管理人しか身に着けていないパスリングだ。サヴァランは右手の人差し指に嵌めていたそれを紅鏡に投げつけると、さっさと雑誌に視線を落とした。
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