第3章 やさしいひと

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 紅鏡は、手にしたパスリングをすぐにドームの解除ゲートに翳して、中に入る。瞬間に、むわりと温かい風が覆い被さってきた。竜が過ごしやすい様に気温と湿度が高めのこのドームでは、制服のまま入るとすぐに汗をかいてしまう。ジャージの上着を脱ぎながら、ゆっくりと歩き出す。 「黄色」  ゆっくりと囁くように呼ぶと、彼らは現れる。  嘶きが聞こえる。この世にこれほど優美な生き物は居ないと人は言う。紅鏡も同感だった。長い尻尾に顔面を覆うふわふわの毛皮、首から胴体にかけての七色に光る鱗が見事で、圧倒的な強大さと荘厳さを見せつけられる生物、竜。彼らは、彼らだけは、紅鏡の世界でいつでも優しく輝いている。 「黄色、お前大きくなったな」  きゅうと、竜が鳴く。尻尾に黄色い色が交じる雌の竜である黄色は、かつて紅鏡の祖父のパートナーであった橙の娘にあたる。竜は、一度のお産で一匹しか子供を育まない。それも、生涯において何度も子育てをしないので、橙の娘は黄色だけだった。 「白銀は、あっちで元気かな」  橙の息子である白銀は、兄と共に地球圏保安教育西学校に居ると聞く。会いに行きたかったが、理由がなかった。兄に疎まれているのもあるし、白銀は黄色より紅鏡に興味がなさそうだった。 「黄色、お前、俺の声が、聞こえるか」  声をかけても、餌が貰えるものだと思って近づいたのに、もらえないことに憤慨しているらしかった。黄色は嘶き、尻尾をぺちりと紅鏡の額に当ててふわりと姿を消してしまう。手加減して当てられているとはいえ、竜の体躯から考えると軽い接触でも猛烈に痛い。額を押さえながら、紅鏡はしゃがみ込んだ。  幼い頃は、竜の声が聞こえた。聞こえたと思っていたが、とある時期から彼らと全く意思疎通が取れなくなった。橙や浅黄の声が聞こえなくなって、あれほど優しかった竜たちはそっけなくなった。それでも、ずっと一人で生きてきた紅鏡は竜の傍に居ることを選んだ。彼らの傍に居て、彼らの世界を見ることを選んでいた。 「また、性懲りもなくお前は、竜に話かけてんのか」  煙草の匂いがして顔をあげると、サヴァランが白衣を着こんで気怠そうに見下ろして来ていた。 「おら、立てよ。ここはあいつらの飯用に、なかなかえげつない虫とかも放ってるからな。そんなふうにしゃがんでると危ないぞ」
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