第1回「いとしき思い出」

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「あー、早く帰ってログインしたい」  トイレの鏡に映る自分の他には誰もいない。そう思ったので、つい口に出してみたくなった。実際に声に出してみると、少しホッとした。  その気持ちは、用具庫だと思い込んでいた部分の戸が開き、そこも個室で、中には人がいたのだと理解するまでの、ほんの僅かな間だったが。  個室から出て来たのは、清内路さんだった。久留美を注視するでもなく、隣の洗面台に立って、手を洗う。  並んでみると背が高い。久留美は平均に近いが、清内路さんはバレー部やバスケ部が似合いそうな長身で、しかも羨ましいくらいに細く見えた。  鏡越しに彼女の様子を伺いながら、わざとらしくもう一度手を洗っていると、不意に清内路さんが声を発した。 「退屈なクラスで、ごめんなさいね」  完全に聴こえていたようだ。 「あ、いや、その、私、ゲーム、好きだから……」 「私もそう思うわ」 「え?」 「ああ、ゲームじゃなくて……。私も、退屈だと思っているから」  久留美は鏡越しではなく直に、清内路さんの横顔を見あげた。  彼女は眼鏡のレンズを久留美に向けることなく、青いハンカチで手を拭くと、静かにトイレを出て行った。  その後の休み時間も、清内路さんは特にトイレでの会話に触れることはなく、給食の配膳についてや掃除のルールなどを淡々と教えてくれた他は、本を読んでいた。  久留美の机の周りも、休み時間を迎えるごとに段々と落ち着いていった。  帰りの会で担任が「清内路さん、下校時刻まで柵さんに校内を案内してあげてね」と言った。 「じゃあ、行きましょう」  足早に部活動や塾に向かうのであろう同級生たちの中、清内路さんに続いて教室を出た。 「手早く済ませるわ。早く帰れるように」  そう言って本当に早足で歩き出したので、久留美は「いや、ちょっと、そこまで急がないから」と止めた。さすがに申し訳ない気持ちになったし、前にいた所より大きな学校なので、そのペースでは体力がもつか分からない。 「実際、夜になるまでは、よく一緒にプレイする人たちはいないことが多いから。多分、仕事とかで」 「そういうものなのね」  半歩遅れて並んで歩きながら、言葉を交わした。
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