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海野はカエルの肉に残っていた骨を口からつまみ出しながら、何でもないことのように言った。
ぐらつく木のテーブルに、手で削り出したらしいごつごつとしたスープのお椀を置き、箸でドングリをつまみ上げる。
「まあ、前よりは多少マシかな」
海野が佐竹に会いに来た約十三年前、彼女は来た理由を「太ったから」と言っていた。
彼女がやってくる理由は、佐竹から見れば毎回大差ない。大抵は、飽きたか壁にぶつかったかのどちらかだ。
「どんな理由でも同じでしょ。そこが終わりじゃないんだから」
小さく息を吐いて、海野は空になった椀を置いた。化粧をしていない、少しかさついた唇を指で軽く拭う。
「意外においしかったわ。たまには、こういう食事も悪くないわね」
「それはどうも。もう何日かいるかい? 毎日こんなだよ」
佐竹は食器類をタワシと水で洗い、調理場に伏せて置いた。箸は軽く振って水滴を払い、伏せた椀の上にそろえて乗せる。
「結構よ。まだ仙人になる予定はないもの」
窓から差し込んでいた茜色は既に薄まり、徐々に藍色の影が濃くなってくる。
椅子に座ったまま外を眺めている海野の横顔は夕暮れに溶けていき、石を積んだ暖炉だけが変わらずに明かりと熱を放っていた。
「なにか、気になるものでも?」
「いいえ。最初を思い出していただけ」
「最初?」
「最初に、あなたに殺された時のことよ」
海野は垂れてきた横髪を耳にかけて、足を組み替えた。
火鉢のくすぶる臭いと薄い布団。夜の色は今よりもずっと濃く、近くで身を横たえる二人の間を重く柔らかく、彼我の距離に隔てていた。
微かに見える輪郭と静かな息遣いだけが、相手の存在を感じさせる。
それは、いま佐竹と海野を隔て、暖炉の明かりを押しつぶそうとする夜の暗さに、確かによく似ていた。
「そもそも、殺そうとしてきたのは君の方だろう?」
「ええ。もう少しだったのに」
苦笑したような調子で言う佐竹に、海野は悪びれもせず、どこか楽しげだった。
まだ、互いに苗字も持っていなかったあの晩。一晩の春を売った海野は、佐竹の寝込みを襲い、逆に殺された。
あの時代であれば、山の中に死体が転がっていることは珍しくない。それが頻繁にあっても、物の怪が住んでいることになるだけだ。
あの貧しい時代に、かたわの末娘が選べる幸福な生き方など、ありはしなかった。
「どの道、長くはなかったでしょうけどね」
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