第1章

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 少し顔をしかめて靴を脱ぎ、靴擦れのできたくるぶしを軽く指で撫でる。  仕立てたばかりでは、革も少々固いらしかった。そんなことを言えば、今の両親は職人の腕のせいにするのだろうことが、容易に想像できた。 「君が年を取ったところは、見たことがないけどね」 「それは私のセリフよ。あなたなんて、外見も変わらないままじゃないの」 「それは君も似たり寄ったりだよ。いくら見た目が変わっても、いつも見分けがつく」  佐竹は肩越しに返事をしながら、海野の土産を戸棚にしまい、代わりに取り出した木の実を海野に手渡した。  海野は受け取った木の実を、切断された線を頼りに半分に割った。中に入っていた若葉色の軟膏が二つに分かれて細く糸を引く。軟膏を薬指で掬い取り、においを嗅いで首を傾げた。 「イタドリ、かしら。昔はよく傷薬にしたけど」 「さすが。蜜蝋とイタドリの若葉で作った軟膏だよ。また、歩いて帰るんだろ?」 「この傷が治るまで、生きていないけどね」  そう言いながらも、海野は薬指に付けた軟膏を靴擦れで皮のむけた踝に塗り込んだ。  靴は履かずに足を組み替え、反対側も靴を脱いでアキレス腱の部分に軟膏を塗る。 「ところで、この二十五年で何か世の中は変わったかい?」  佐竹は湯気の立つ器を彼女の前に置いた。中で上下する葉を手で拾い上げ、窓際に置く。 「色々変わったわ。色々ね」  海野はまだ熱の残った葉を手に取り、鼻先に近づけた。ドクダミに特有の薬臭さが鼻をつく。 「その言い方じゃあ、私はもうついていけないかもね」 「ええ。今あなたが戻ったら、浦島太郎よりも大変よ」  海野は足を組み替えて、半円の器を手に取った。ひょうたんの実を加工して、黒焼きにしたらしい器の中で、ドクダミ茶の水面が波打ち、独特の香りが湯気に乗って部屋に広がる。  一口すすって細く息を吐き出す。部屋の中は前と変わらず、野草や芋のつるを乾燥させたらしいものがぶら下がっていた。食器はどれも石や植物を加工して作ったもので、ガラスやプラスチックで作られたものはない。 「ここは、懐かしいものばかりね」 「そうだね。ここは自然から作れるものしかないから」  彼女の記憶にある限り、最初に生まれた時代は、今に比べれば物などないに等しかった。生きるために必要なもの以外を作る余裕がないのだから当たり前だが、この家はその時代に近かった。
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