5月19日

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5月19日

   次の日の朝、リアムが戻ってきているのか不安になりつつも売店へ向かう。中から物音のしない扉へ手を掛け、緊張の一瞬…前へ押せば扉はちゃんと開いてくれた。 「おはようございます…」  店内で品出しをしているはずのリアムの姿が見当たらず、挨拶する声がいつもより小さめになってしまった。  どこに行っちゃったんだろう…辺りを見回すと、カウンターの奥から物音がして数秒、リアムの頭が現れる。 「おはようございます、ユノさん」  それは、いつもと変わらない彼の返答。それだけのことなのに、すごく安心する。  嬉しくなってカウンターまで駆け寄れば、リアムはきょとんとしたが、すぐにいつも通りの優しげな笑顔で迎えてくれた。 「あれ、匂いでもしました?」 「え?」 「今日はユノさんが好きな干しぶどう入りのパンですよ」  カウンターの下から出てきたいつも通りの朝食に、言葉が詰まる。私どんだけ食い意地張ってると思われてるの…た、確かにそのパン好きなんだけど…なんと言えば良いのか悩んでいたら、くすくすと笑われた。 「冗談です。ユノさんがいつも通りでいてくれて、私も安心しました」 「リアムさん…」 「ほら、こっちいらっしゃい。ここは君の席ですよ」  隣へ来るようにと、当たり前のように手招きされる。  いつも通り、カウンター内で彼の隣へ座れることが嬉しい… 「はい!」  ちょっと元気な声で返事を返してしまって、やっぱりリアムに笑われてしまった。 「リアムさんは、怪我とか無かったですか?」  いれたての紅茶をリアムに渡しながらそう切り出せば、興味深そうな目を返された。 「ユノさんの方がボロボロだったのに…私の心配してくれるんですか?」 「当たり前じゃないですか!」 「ふふ、有り難うございます。私は見ての通り、掠り傷一つ無いですよ」 「良かった…私のこと抱えて窓の外飛び出すから…」 「私だって魔法の一つぐらいは使えますからね…それに、ユノさん軽かったですし」 「えぇ?!リアムさん魔法使えるんですか!何魔法だったんですか?!」 「秘密です」  ふーっと紅茶に息を吹きかけ、なんでもないように返されたけど…ここまで帰ってくるのにリアムは屋根の上をかなりのスピードで駆け抜けていた。それを可能にする魔法って…相当な使い手なのでは…  食い下がってリアムへ問いかけるが、禁則事項です、関係者外秘です、守秘義務があります、とかわされてしまいやっぱり教えてはくれない。 「むむむ…意外とケチですね」 「あのねぇ…それよりも」  前のめりにリアムへ寄せていた顔に、彼の手が伸びてくる。ぴっと人差し指が飛び出してきて、私のおでこの真ん中を押された。 「君。ドナートのところに行ったの遅かったんだって?」 「げ…な、なぜそれを…」 「ちゃんと確認したんだよ。なんで早く行かなかったんですか?」 「その…朝から、ラミとイヴァンに声を掛けられて…」 「…ラミと、イヴァン…?」  私が二人の名前を出した途端、おでこを押していたリアムの指が止まった。姿勢を正し、カウンターへ背を預けたいつもの体勢になると、それで?と促される。  なんだか急に雰囲気が変わった気がする…別に悪いことはしてないし…話しちゃって大丈夫だよ、ね…? 「遅い時間に出たから寮で会って…体調の心配をされたんです。それから、イヴァンに一昨日の夜について聞かれました」 「…拉致事件のことですか」 「はい…言って良いのか判断できずに、適当に誤魔化したんです。昼もイヴァンが一緒だったから医務室に行けなくて…夕方行こうとしたら、今度はラミに呼び止められました」 「ラミはなんと?」 「…彼は、私が関わっていたことをあらかじめ知っていたようで…私に確認をとった感じですかね…ラミには誤魔化しきれなくって、被害者の一人だって言ってます」 「なるほど…他に彼は何か言っていましたか?」 「特には…参考にする、とだけ…あ!もちろんリアムさんについては言ってません!秘密だから!」  口元に手をあてて何かを考えていたリアムへ畳みかけるように言えば、彼は視線をこちらへと戻してくれた。その顔は、さっきまでの雰囲気は消えていて、いつもの優しいお兄さんそのものだ。  有り難うございますと腕が伸びてきたと思ったら、頭の上へと手のひらが乗る。ぽんぽんって軽く頭を撫でられて、息が止まった。  え…?今もしかして、リアムから触ってきた…?そうだよね、リアムから私に触ってきたよね…?頭ぽんぽんとか…何それ、無理、しんどい…頭洗えない。  そう感動を噛みしめていると、この時間に珍しく売店の扉が開かれた。 「いらっしゃい」  リアムが姿勢を正し決まり文句を言えば、見覚えのある黒髪が視界の端を掠めた。 「すいません、まだ開店していなくて…」 「ああ、大丈夫。僕は彼女に用事があって」 「…ユノさんに?」  困った顔をしていたリアムの口の端がぴくりと一瞬だけ動いた。そこで初めて、推ししか見ていなかった視線を入り口へと向け…少しだけ気まずくなった。 「おはよう、ユノ」 「お、はようございます…ラミ」 「なるほどねぇ、こんな所で餌付けされてたの?」 「餌付け…」  動物じゃねぇよ、と心の中でだけツッコミを入れてみる。  が、手にはリアムから頂いた食べかけのパンをしっかりと握りしめているから、いまいち説得力に欠けるのも事実だ。 「迎えにきたんだ。そろそろ授業も始まるから、行こう」 「え、もうそんな時間…?!」  壁にかけられている時計へ目をやれば、確かにいつも店を出る時間になっている。てきぱき片付け、鞄を手にしてからリアムへ頭を下げた。 「リアムさん、ごちそうさまでした。いってきます」 「ええ…いってらっしゃい」  カウンターから出て、入り口にいるラミと共に店を出る。扉が閉まる前に、もう一度振り返ってリアムの方を見れば、手を振ってくれた。それが嬉しくて同じように手を振りかえしてしまった。  ◆  毎朝、リアムと過ごす時間はとても幸せだ。テスト勉強も終わってしまい、彼と一緒に過ごせる時間は朝だけになったから、一秒たりとも無駄に出来ない。  昨日は何があったとか、今日は何があるとか…些細な会話だけど、彼と交わせる会話はなんだって楽しい。  時間だからと店を出るのは、決めてある時間ぴったりにしたいと思うのは当然のことだろう。  それなのに…ここ2週間ぐらいの私は、予定時間の5分前には退室するはめになっていた。その原因が… 「おはよう、ユノ」  爽やかな笑顔を浮かべる王子様…ラミなのだ。  何を思ったのか、彼は私を迎えにきた日からなぜだか迎えにくるようになった。もちろん、私に用事がある訳じゃない。  迎えられはじめて3日後にはげんなりしていた。  ポーカーフェイスとはほど遠い自分の顔だ、なんで迎えくんだおまえって言うのがしっかりと出ているはずだし、それに気付かないラミじゃないんだけど…彼は楽しそうに続けている。  だからと言って、はっきりと迷惑だと言えるはずもない…善意の体できているのも性格が悪い…。完全に、断れないと分かってての犯行だ。腹黒いなぁ…  時間にしたら数分、5分も無いぐらいをラミと一緒に歩く。  教室に入ればそれ以降構ってくることもない。それに、教室に向かう途中、授業で分からなかった所を聞けば、とても分かりやすく説明してくれるので助かったりもした。  リアムと一緒に居られる時間は減っちゃったけど、ためになる話を聞けるのは悪くない…2週間目に入ってからは、そんな風に思えるようにはなっていった。  ◆  午前の授業が終わり、昼休憩。  食堂で格安ランチを食べることに没頭していたら、突然隣の椅子が動く。広々として空席が目立つ食堂なのに、なぜわざわざ隣の席を選ぶんだ…訝しげな視線を向ければ、絶世の美女もといローズが私の隣へと座った。 「お隣良いかしら、ユノさん」 「は、はい…」  いいかしらと聞いてるわりにもう座ってますが。あえてそれは口にしない。  花が綻ぶような笑顔が眩しい…ヒロインらしく、小さなお口でサラダを食べ始めた彼女の隣でハンバーグ食べるのつらいんですけど…一口を気持ち小さめに切って肉を頬張った。  そして訪れる沈黙…食器にぶつかる音だけが響く気まずい空間。  何しに隣に座ったんだ…これは私から話を振った方が良いのか…悩んでいると、意を決したように向こうから話しかけられた。 「ユノさん、最近ラミと仲が良いわよね」 「…え?!そ、そんなことないですよ?!」 「そう…?毎朝一緒に教室へ入ってきてるようだけど…」 「ぐ、偶然会うんですよねぇ…!」 「…そうなの?」 「そうなの!」 「そ、そう…」  思わず背筋が伸びる。食事する手を止め、仲良しでは無いと強めに否定をしたら、ローズからは少し引き気味に同調が返ってきた。  ラミと噂になるとか真っ平ごめんだ。なるなら是非ともリアムとでお願いしたい。 「…良かったわ。もうすぐ調理実習の授業があるじゃない?そこで作ったものをラミにあげたいと考えていたから…同じ物をたくさん貰っても、困っちゃうじゃない?」 「調理実習…」 「なぜ女子だけでするのかしら。不思議よね」 「…そ、そうですね…」  上手く出来るか不安ね、と零すローズに、ローズさんなら上手くいきますよ!とよいしょで返す。すぐに上機嫌になって彼女はなにか話し始めたけれど、私の耳は右から左へと流していった。  調理実習って…6月にあったミニゲームのことだろう。  ゲームでは表示された文字をタイピングをし、正確性と速度で勝負のゲームだった。それにより、料理が成功していき、最後にはカフェで出てくるようなパンケーキが出来上がる。  タイピングには自信があったから、ミニゲームは楽勝だった。  しかし、実際はタイピングなんて関係ない…ガチで作らなきゃいけないんだ…。 恥ずかしながら、私は前世を含めても、両手で足りる程度しか料理経験が無い。  これは…かなりのピンチ訪れたかもしれない…!!
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