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6月10日
次の日から、授業が終わると部屋に飛んで帰りパンケーキの練習。出来上がったそれを鞄に詰めて、朝はリアムのところでお茶。昼になったらドナートがいる医務室へ押しかけ、味見をしてもらうという生活が始まった。
「今朝も、リアムさんに紅茶美味しいって褒めてもらったんです」
「へぇ…」
「だけど、今日はちょっと眠そうだった…お仕事大変なんでしょうか」
「さぁな…」
「大丈夫かなぁ…」
「…そう思うなら本人に言えや…」
「ん?なんか言いました?」
「なーんも…それにしても、いまだに焦げんな。嬢ちゃんのパンケーキ」
フォークで刺して食べられるぐらいにはなった、パンケーキらしきもの。黒から茶色には変わったけど、ドナートの言う通りまだ焦げている。
調味料は間違えることは無くなったから、味は安定し始めたんだけど…私は火との相性が悪いみたいだ。
「なんか焦げちゃうんですよねぇ…」
「使ってるフライパンが悪いのかねぇ」
「う~ん…そうなのかなぁ…」
書類へ何かを書き込んでいたドナートは、伸びをすると立ちあがって私の方へと歩み寄ってくる。
お弁当箱の中を覗き込み、原因不明だなと首を傾げられた。首を傾げたいのは私も同じだ…
彼は小さく切ってある一切れへ手を伸ばし、指で摘まむとそれを口に放り投げる。さすがにゴリって音はしなくなったけど、そこまで柔らかくもなく…目指しているふわふわのパンケーキにはほど遠い。
「…まあ、進歩はしてきてんな」
やっぱり髪の毛をぐしゃぐしゃにするように頭を撫でられた。
これがこの人なりの甘やかしなんだって気付けば、そうされるのも少しだけ嬉しい。髪の毛を整えるのは、撫で終わってからでも良いかな。
◆
5日間も同じ物を作り続ければ、そろそろ上手くもなる。
お店で出せるような綺麗な形ではないけど…美味しく食べられるぐらいには進歩した。少しだけ焼き色は濃いめなのはあれだけど…ふわふわな食感は再現できている。
これならリアムの前に出しても、恥ずかしくはないはず…!
「見て下さい、先生!ほら、ふわふわしてる!」
「おー、すげぇすげぇ」
「もっとコクを出すにはどうしたらいいですかねぇ、バター多めに入れるとか?」
「あー、そうだなぁ」
「リアムさんって、どんな味付けが好みですか?やっぱり甘さ控えめが好きなのかなぁ」
通い始めてすぐに、世話になりまくっているからせめて得意な紅茶ぐらいはごちそうしますと口にしてから、まずは二人分の紅茶をいれるところからお昼は始まる。
ドナートも、紅茶に関しては美味いと普通に褒めてくれるから気分も良い。いつもコーヒーばかり飲んでいるドナートのマグカップに、昼だけは私の紅茶がはいっているのもそろそろ見慣れ始めた。
「俺は甘いのが好きだ」
「あ、そうですか…」
「なんだその冷たい目は!嬢ちゃんどんだけリアムしか頭にないんだよ…」
「だって、リアムさん素敵じゃないですか…」
「でたでた…じゃあリアムに聞きゃいーだろ…」
「き、聞けるわけないじゃないですか…!」
そ、そんな、本人に直接味の好みを聞くなんて…!
恥ずかしいし、口に合わなかった場合のショックがやばい。絶対に立ち直れない。リアムなら優しいから、美味しいって言ってくれそうだけど…お世辞で言われても嬉しくない。
でも、彼好みに近い味の方が喜んでもらえるだろうし…そこはこっそりとチェックしておきたい。知らない体で出せば、口に合わなかった時は言い訳できるし…!
そんな乙女心をドナートは理解できないだろう。
なんと説明すべきなのか…口ごもっていると、テーブルを挟んで向かい側に座っていたドナートは、人の悪そうな笑顔を浮かべる。
なんか嫌な予感がする…身を引こうとしたけど、それよりも先にドナートの手が伸びてきて、片手で両頬を掴まれた。
「ぶ…っ」
「俺にこんだけ言えんだ、リアムにもそれで接してみろっての」
軽く押され、鳥のくちばしみたいに唇が縦に割れる。ひでー顔と笑いながら数回押されジト目を向けたけど、全く気にしていないようだ。まあ、ドナートだしそんなもんだよね。
半ば諦め気味にむにむにされるのを許していると、医務室にノックが響く。それからすぐに、扉が開けられた。
いままで昼に誰かがくるなんて無かったのに、一体誰なのか…ドナート越しに扉へ目をやると、そこには朝ぶりのリアムが立っていた。
「リアムさん…!」
「あれ…ユノ、さん…?」
ばっちり目が合えば、彼は驚いたように目を大きく見開いていた。
今日二回も会えた…!嬉しい…!!それに、油断をしてたのか、扉を開ける時の気怠げな表情までばっちりと目に焼き付けたぞ…!それがまた格好良くて堪らない…!
「なんだ、リアムか」
「…ご注文の品、届きましたよ」
「有り難うな」
「いえ…」
ドナートが振り返ったお陰で、頬を掴んでいた手が離された。地味に痛かった…掴まれていたところを両手でぐりぐりマッサージをする。その間もこちらへ近寄ってくるリアムから視線は外さない。どんな時でも推しは見ていたい。
「ユノさんは…ここでお昼を?」
「え…?あ、ちょっと相談があって…」
「相談…」
「そうだぜ、リアムには言えねぇ相談な」
「ちょ、先生?!」
とんでもない発言に、思わずドナートを見つめる。それ以上は言うな!みなまで言うな…!!目だけで訴えてみたけど、伝わってるのか…いや、伝わったんだろう…
そこまで理解して尚、ドナートはニヤっと笑うと半分ほど残っていた私のパンケーキへと手を伸ばした。
フォークで無理矢理持ち上げると、それへ齧りついた。えぇ…一口でかすぎ…三分の一ぐらいしか残ってないじゃん…
「ちょっと…!」
「上達したじゃねぇか」
文句を言うよりも先に、残りを口の中へ突っ込まれた。物理的に口を封じられ、それ以上何も言えず…食べながらドナートを睨むけど、やっぱりニヤニヤした顔で返される。
「…随分と、仲良しなんですね」
少しだけ固い声が聞こえ、ハッとした。パンケーキ修行がバレないようにって必死だったけど、バレて欲しくない相手は、真横に居たんだ…!
視線を彼へと戻せば、目が合う。違います、仲良しではないんです…!そう言いたくても、口の中のパンケーキが邪魔をする。
何も言えない私に、リアムは優しげに微笑みだけを返してきた。その笑顔に壁みたいな物を感じて…初めてのリアムからの拒絶に、体が固まった。
ど、どうしよう…もしかして、リアム…怒ってる…?
「なんだぁ、うらやましいか?」
「ユノさんのお昼を横取りするのはいただけないと思いますがね」
「相談料みたいなもんだよ」
なぁ、嬢ちゃん、と声を掛けられて、びくっと肩が震えた。慌てて目の前に広げていたお弁当を一纏めにすると、鞄へと突っ込む。
突然すぎる私の行動に、戸惑うドナートの声が聞こえたけど、怖くて顔を上げられなかった。
「ド、ドナート先生に、用事でしたよね。私、失礼しますね…!」
二人の顔を見ないようにして横を通り抜け、一目散に扉へと向かう。
出る直前、リアムに名前を呼ばれたけれど…とても、彼の顔を見ることは出来なかった。
どうしよう、男の元を歩いて回ってるって思われたかな…呆れられた?もしかして、嫌われちゃったかな…どれにしても、リアムから良い印象は感じられなかった…
マイナスな考えばかりが浮かんで、顔なんてとても見られなかった…きっと、それだって感じが悪いって思われるはずだ…
もおぉ…!何やってんだよぉ…私…!
◆ ◆ ◆
「ユノ、さん…」
一瞬傷ついた表情を浮かべた彼女は、すぐに作り笑いを貼り付けると、下を向いてしまう。
荷物をまとめ部屋を出て行こうとしたユノの名前を口にして呼び止めようとしたけれど、彼女は足を止めること無く医務室を後にしてしまった。
怯えを必死に隠す姿…きっと、怯えたのは俺に対してだろう。その本人が後を追っても良いものなのか…判断に迷い動けずにいれば、横から呆れ混じりのため息が聞こえてきた。ドナートだ。
「リアム…男のヤキモチは見苦しいぞ」
「…煩いですよ」
ヤキモチ…そうだ、俺は、ドナートに嫉妬した。
毎朝彼女が自分のところへ来て共に過ごし、俺のために紅茶をいれてくれる。
それが、俺だけに許された特権だと…勝手に思い込んでいた。
しかしこの現状はどうだ。
ドナートも同じように彼女に紅茶をいれてもらって…更には、俺と居る時よりもユノは自然体で過ごしている。それに呆然とした。
「嬢ちゃんの気持ち知ってんだろ、早く応えてやれよ」
「彼女は学生です」
「自分に惚れてるのを知ってるからそう言えんだろ?」
「…拉致事件で、助けたからでしょう」
「それ本気で言ってんのか?そのうち誰かに取られんぞ」
「ユノさんは物じゃありませんよ」
「ラミとか、最近執着してるそうじゃねぇか。アイツの性格知ってんだろ?欲しいものは、なんでも手に入れようと」
「黙れ」
それ以上は聞きたくない。睨み付ければ、ドナートは口を噤み降参だと両手を上げた。
くそ…ッ、なんでドナート相手にこんな感情的になってるんだ…
自分自身に腹が立ち、小さく舌打ちをしたら、本性出てるぜと笑われる。その余裕ぶった態度がまた一々癪に障る…
駄目だ、これ以上ここに居ても気分が悪くなるだけだ。
「顔が怖いぜ、売店の優しいおにーさん」
「うるせぇよ」
「あっぶね?!」
ポケットに入れていた薬の瓶を投げつける。危ないと非難してくるが、ドナートの手にはしっかりとその瓶が握られていた。
目的も果たした、さっさと帰ろう。早足で出口まで向かい扉に手を掛けると、名前を呼ばれた。まだ何か用があるのか…うんざりした顔を隠さず、振り返る。
「明後日の夕方。裏の庭行ってみ」
「…なんでオマエの薬草畑になんか…」
「いーから、おっさん信じて行ってみろって」
入った時と同じ、ニヤニヤした顔で言ってくるドナート。それには何も返さずに、医務室を出た。
なんで薬草畑…意味が分からない。
「ったく、苛々すんな…」
紛らわせるように髪を掻きむしる。早く仕事に戻ろ…気分を切り替えるように大きく息を吐きだした。
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