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6月12日
昼に、ドナートの所でリアムから壁を感じたのは想像以上にショックだった。
午後の授業なんて全く頭に入らない。板書する手も止まってしまって、気付いた時にはノートが半分以上真っ白になっていた。
このまま書き写しても仕方ないか…小さくため息を吐いて外へ目をやる。外はどんよりとした曇り空…昼前までは晴れていたはずなのに…まるで私の心が反映したかのような天気に、更にため息が漏れてしまった。
終了の鐘が鳴り、授業が終わる。本日全ての課程が終了したお陰で、クラスメイトたちは晴れ晴れとした顔をしていた。伸びをしたり、この後の予定について話したり…みんな楽しそうだけど、それにすらため息が出る。
昼間の態度を思い出し自己嫌悪…もう帰ってベッドへ飛び込みたい…
今リアムに会ったとしても、目を見る自信すらない。そのせいで、更にややこしくなるかもしれないし、やっぱり今日は大人しく部屋にこもっておこう。
早々に予定を決めたら、撤退の準備を始める。インクの蓋を閉め、教科書を閉じ、ノートへ手を伸ばしたところで、真横から声が降ってきた。
「うわー、何も書いてねーじゃん」
だるそうな間延びした声。声の方へと顔を向けると、イヴァンが私の白いノートを覗き込んできていた。
うるさいな…イヴァンだって普段寝てばっかりでノートとってないくせに…心の中で毒づき、イヴァンの声を無視するようにしてノートを閉じる。
「授業中、ため息ばっかだったな」
「…気のせいじゃない?」
「ユノのため息で何度も起こされたよ」
「そんな大きな声だしてない…はず」
「目の前で何度もはぁはぁされたら目も覚めるわ」
「なんか私が変態みたいな言い方止めてよ…」
失礼な言い方のせいで、さすがに片付けを進めていた手を止めイヴァンを見上げる。私と目があえば、彼はにーっと緩い笑顔を浮かべた。
「オマエ、今回の授業が試験範囲だってのも聞いてなかっただろ?」
「え?!そ、そうなの…?!」
それはかなりまずい…!今日の授業は何も聞いていなかった…!どうしよう、せめて誰かにノートだけでも写させてもらわないと…!
慌ててクラス中を見渡してみたけど、授業が終わったせいで生徒の数はまばら…あまり話さない人しか残っていない…いきなりノート貸してとは、とても声を掛けにくい。
「うう…どうしよう…誰かノート…」
「…なんで俺には聞かないんだ?」
「だって、イヴァンはとってないでしょ?」
「ユノ…オマエ、後ろにも目ついてんのか…?」
なんで本気で驚いてるんだ…イヴァンってゲーム以上に頭が弱い人なのかな…なんだか哀れになってしまう。
「ユノ。これを貸してあげるから、その目はやめてあげて」
今度は背後から声をかけられて、後ろを振り返れば、ラミが立っていた。いつの間に私の後ろ…全く気付かなかった。
そんな彼から渡されたのは、質の良いノート。捲ってみると、綺麗な字でまとめられている。もしかしなくても、これはラミの物だろう。
「次に会う時に返してくれればいいよ」
「良いんですか…?」
「なんか、ラミと俺とじゃ対応ちがくね?」
「他でもないユノだから。授業中も、心ここにあらずって顔してたもんね」
「そんなこと…」
「そう?僕の席からだと、物思いに耽るユノと、心配そうに後ろから見てるイヴァンがよく見えたけど」
「ばっ!何言ってんだラミ!俺は心配なんか…!」
「はいはい、そうだね。心配してないんだったね」
「オマエ、いい加減に…!」
「あ、ちなみに、さっきの授業で試験範囲について触れられていなかったよ」
「え…?」
「え…?!」
驚く私に続いて、更に驚いたイヴァンが続ける。え、なんでこの人驚いてるの…そこにも吃驚する。
「ユノ…可哀想な子を見る目、やめてあげてって…」
どれだけ酷い顔でイヴァンを見てたんだろうか…私の顔を見て、ラミがくすくすと笑う。言ってなかったか?と首を傾げたイヴァンと、寝ぼけてたんじゃない?と笑うラミは、用事があるからと二人並んで教室を出て行った。
ゲームでの二人は、主従関係が強く押し出されていて、あそこまで仲が良い描写はない。年上であるイヴァンと、仕える相手のラミ…難しい関係だと思っていたけど、本当は信頼しあってる仲なのかもしれない。もしくは、落ち込み気味な私を励まそうと…?それは有り得ないか。でもまあ、少しだけ気分は紛れたのも確かだ。
「くよくよしてても仕方ない…とりあえず、練習しよう…!」
◆
「死にたい」
休み明け、調理実習の日。放課後。
私は隠れて黒焦げになったロールケーキだった物を手に、校舎裏のベンチにまたきていた。
手元にあるのは、やっぱり黒焦げの塊。それを眺めていると、段々と悲しくなってきて…潤む視界に耐えきれず、両手で顔を覆った。
ミニゲームで仕上がった綺麗なパンケーキ…それが、全員の課題だと思ってた…なのに、まさか…課題がくじ引きだったなんて…!
その場でひかされたくじ…引き当てたのは、まさかのロールケーキ…ちなみに、パンケーキはきちんとローズが引いていた。
他のくじには普通の料理もあったから、スイーツ繋がりだったのはまだ救いだったかもしれない。そう思ったのも束の間、調理は苦難の連続だった。
生地は代用できたけれど、中身は全く違う。包丁なんて上手く使えもしない私が、果物の皮を剥くことができるだろうか。いや、できない。
一瞬で果物は血まみれ。綺麗に洗ってはいるが、食べる気なんて到底おきない。生クリームだって、作ったことがない。泡立てたら生クリームになると思ってたよ。砂糖入れるとか知らないよ。何度で何分焼けば良いのか分からなかったから、様子を見つつ焼こうと考えていた生地は、難航する中身作りのせいですっかり黒焦げ…そんな生地で巻こうとするから、丸めると同時にぼろぼろと崩れていく始末…
見るも無惨な出来映えに、クラスの女子全員に励まされた。話したことも無い子からもだ。
「どうしよう…こんなの、渡せないよぉ…」
リアムには料理が出来ると言い切ってしまった手前、こんなものを渡せるわけがない。どうしたらいいんだ…ただでさえ気まずくて、朝に顔をだすことが出来なかったのに…
「もぉ~、やだぁ…」
「何が嫌なんですか?」
「何って!今日はまだリアムさんに…」
顔を覆ったまま頭を振っていると、目の前から声が聞こえる。反射的に答えちゃったけど、聞き覚えのありすぎる声に途中で詰まった。
ゆっくりと覆っていた手を外してみると…私の目の前でしゃがんで見上げている推し。ひえ、と変な声が出たけど、リアムは気にすることなく私の隣へと座った。
な、なぜ私がここに居ることを知っているんだ…リアムには話していなかったはずなのに…
「私がなんですか?」
「えっと、その…」
同じベンチに座ってるのに、下から覗き込んでくる体勢がずるい。格好いいのに可愛いとか、ずるすぎる…やっぱり声に詰まってしまう。
「…その包み、どうしたんですか?」
「え、あ、いや…!」
「そういえば…今日は実習の授業、ありましたっけ?」
両手で頬杖をついて、核心を突かれた。反射的に包みを守るように両手で押さえ込む。そうだよね、あんだけこの話題してたんだもん、この手にある包みが話題の物だって気付きますよね。
とてもリアムの顔が見られなくて目を逸らすんだけど、圧力がすごい。
目を逸らしていたのなんてほんの数秒…すぐに押し負けた私が、リアムの方へ視線を向ければ、にこっと微笑まれる。この笑顔をずっと見続けているだけあって、それが少しだけ怒気を含んでいるのぐらい、しっかりと分かってしまうのもつらい…!
「ユーノさん」
耳元で、低めに囁かれた名前に肩が震える。ひゃい!なんて情けない声を出しながら、包みを死守していた手をゆっくりとどかした。待ってましたとばかりに手が伸びきて、それはリアムの膝の上へと移動してしまった…
カサリと音を立てて開けられる…ああ、それ以上は見ないで下さい…!というか、私が見ていられない…!!表情を隠すように両手で再び顔を押さえた。
今度は何をしてるか見えるように、目の部分だけはちょこっと開けているけど。
「…黒」
開けた瞬間の推しの言葉は、忘れない。
真っ黒でボロボロですよね、はは、それ、ココア味じゃないんだぜ…?そう口に出来ていたら、少しはこの空気も和んだのかな…
もう終わりだ、私の評価は下がりまくって地に落ちたかもしれない…百歩譲ってリアムがよくても、私が嫌だよ…
「甘さ控えめですね」
遠くを見つめていた私の耳に入ってきた、信じられない第二声。勢いよくリアムの方へ顔を向ければ、彼は、黒い塊を口に運んでいた…!
「ぬわぁぁあ!!な、なななななにしてるんですかぁああ?!?!」
顔を覆っていた手を、今度はリアムへ向ける。早く奪い返さなくては…!!両手を伸ばして突撃するも、私の手は空を切るのみ…ひょいと膝の上の塊ごと私の手の届かない位置へと持って行かれてしまった。
おまけに、焦りすぎた私は、勢い余ってリアムの膝の上へと倒れ込む。
「返して下さい!」
「はぁ?嫌ですよ」
彼の膝の上で背筋をするかのような体勢で強めに言ったら、心底嫌そうな顔で拒否されてしまった。
「ドナートには食べさせておいて、私の分はないんですか?」
「リアムさんには、もっと美味しいの作りますからぁ…!それだけは…!」
「アイツが食べてたものじゃ嫌です」
ひん!わがまま…!この人、こんなこと言う人だったっけ…?!砕けてきてくれた感じも好きなんだけど…!
「で、でも…もっと練習して、ちゃんとしたのを…」
「そういうの要らないんで」
「え…」
「練習したなら、私が味見します。持ってきて下さい」
「だ、だって、それ、真っ黒だし…!恥ずかしいじゃないですか…!」
「今朝来なかった君がいけないんです。なので、これは君にもあげませんよ」
見せつけるようにして二切れ目を口に運ぶ。そんな…一番の失敗作を、この人に食べられてしまうなんて…ショックすぎる…やっぱり実家に居た頃、きちんと練習しておけば良かったわ…
HPはもう0の私は、起き上がることもできず…ただひたすらにリアムの膝の上に俯せで倒れ込んだまま無の境地を迎えてしまう。
「正直、ユノさんが料理下手で安心してます」
「なんでですかぁ…」
私は料理下手で大後悔中です…半泣きで聞き返せば、ぽふっと優しく頭を撫でられた。
「敵は少しでも、少ない方がいいですし」
「てき…?」
何と戦っているのですか…理解出来ずに、顔だけを上へ向けるとちょうど完食したリアムと目が合う。
「ユノさんは知らなくてもいいことですよ」
指についていたクリームらしきものをペロっと舌で舐め取っているのを目の当たりにして、息が止まった…え、えろい…
「ごちそうさまでした。ねえ、ユノさん」
「ひゃ、ひゃい…!」
「明日から、私の所でお昼、食べませんか?」
「え…?!」
「ああ、誰かと昼食を共にしているようなら大丈、」
「いきます!!!」
秒で起き上がって、必死に頷く。瀕死状態なんてどこへやら、食い気味の私の返事に引くこともなく、リアムは良かったと笑い返してくれた。
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