4月2日

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4月2日

   私の名前はユノ。どこにでもいる平凡な女。  見た目も、身長も、ほぼ平均。他の人よりもちょっと胸が大きいことぐらいが自慢。  元々田舎に住んでたのもあったから、村娘Aっていうのがしっくりきすぎている…そんな感じの女。  とにかく平凡。それが普通だと思って、18年間生きてきた。  だけど、今日出会った人たちを見て走った衝撃…それによって、しっかりと思い出してしまった。  私は、ユノとして産まれる前に歩んだ人生を覚えている。いわゆる前世ってやつかな。  名前とかははっきりしないけど…日本で女性として、30過ぎぐらいまで生きていた。  まあ前世の時代から平凡な感じだったんだけど、それなりに恋をしたり仕事したりしてた。結婚は…しないで終わったわね。  珍しくもない病気で入院して、手術して、容態が急変して…そのまま死んだ。  そんな面白みのない人生だった。  前世の私の唯一の楽しみは、ゲームだった。やるのはもっぱらRPGと恋愛シミュレーション。やることが決められてるゲームの方が楽しめたから、自然とジャンルが偏っていったってのもある。  入院していた時も、個室で暇だったってのも手伝って、当時どハマりしまくっていた18禁乙女ゲーを黙々と再プレイしていた。  起用された声優陣が豪華、且つBLで有名な絵師のキャラデザのお陰もあり、乙女ゲー界隈以外でも話題になった有名な1作。  人気が出たために18禁よりレーティングを下げ、ポータブル機でのリメイクが決定されたぐらいの名作。  どハマりしてる時にその追加情報なんだもん…嬉しくなって、病室でも構わず最初からやり直しするのは仕方がないことよね。  そのゲームは、絢爛豪華な魔法学園が舞台。ヒロインのローズは名前の通り真っ赤なゆるふわロングヘアーに緑の瞳を持つ、美人系の女の子。目の色が少し薄くて、焦点あってるのかたまに不安になる顔をしてたけど…かなりの美人で申し分ない。  ライバルキャラは無し。勉強のパラメーターと、各キャラ毎とデートで好感度調整をしながら攻略対象を落としていく。本当に王道の内容。  実際、作業ゲーになるからゲーム性は無し。日々の予定組みをしてる間とかつまんなすぎて眠くなった。  けど、攻略キャラがイケメンだし、一定の条件をクリアしていればエロイベントがちょくちょくぶっ込まれてくる。しかもタイミングも秀逸で、飽きたなーって頃にくるから、制作側の采配には恐れ入ったわ。  まあ、ゲームの思い出はこれぐらいにしておいて…  朝に庭で見かけて、教室で自己紹介をしていた赤髪の少女。彼女は前世でやっていた乙女ゲーのヒロイン、ローズ。ちなみに、庭で見かけた黒髪の方…ラミは、攻略対象の一人。  この国の王子で、王位継承権が低いから国民の認知度も低い。有名じゃないからって言っても王子なのは変わりないので、念の為にお忍びで入学している。お忍びでは病弱設定で、寮生活だったはず。  中性的な綺麗な見た目のせいで、いかにも草食って顔をしているが騙されてはいけない。ラミルートはえげつないぐらいにエロが多い。くっそ肉食のロールキャベツ系男子だ。  そして、私は、そんな煌びやかな人達が通う学園の一クラスメイト。教室の背景、端の方に顔の描き込みもされないモブ女。  そうね、そうよね。だから、こんなにも平凡なんだよね。胸がデカイのは、モブだとは言え18禁ゲーのキャラだからだよね。朝の庭でヒロインがイベント発生中だから、邪魔しちゃいけないって無意識のうちに身を隠すわけよね。  全てが納得できた。しっかりと自分の立場ってもんを把握した。完全に理解した。  慌てず騒がず、ヒロインと攻略キャラたちには近寄らないで1年を過ごしていこう。  深くため息を吐きながら寝返りを打つ私は、今後どう無難に生きていくかについて考えていたんだけど…寝返りなんて、なんでうってんだ…?  いつの間に寝ていたのか…薄ら目を開けてみたら、昔ながらの保健室みたいな空間が広がっていて、ベッドの上で私は横になっていた。  女性向け18禁乙女ゲーのモブに転生してるなんてとんでも展開のせいで、見知らぬベッドで目を覚ましてもさほど驚きじゃないんだけど…とりあえず、直前までの記憶を落ち着いて思い返してみよう…  えっと、確かホームシック気味になりながら寮を出て、庭に行ったのよね。そこでヒロイン・ローズと攻略キャラ・ラミに遭遇。で、教室に移動して諸々の説明を受けた。  遅い自己紹介を始めて…ローズの番になった時、体に電気が走ったような衝撃と共に前世の記憶が蘇ったんだ。  押し寄せる情報量があまりにも多くて処理しきれない頭と、有り得ない転生に動揺して現実逃避しようとした心のせいで、体から力が抜けて…強制的にブラックアウト。  ブラックアウト…そうだ、私倒れたんだった。受け身なんか取らず、もろに床に倒れたんだろうな…体の右半分がめちゃくちゃ痛いのはそのせいだろう。  保健室って感想は当たっていて、ここは学園の医務室ってところかな。 「まさか、こんな場所で私の持ってる薬を使う日が来るとは…」 「助かったぜ、本当にありがとな」 「いいえ。それより、新入生君はまだ眠っているのですか?」 「どうだろなぁ、そろそろ目覚めても良いはずなんだが」  突然聞こえた他人の声に、思わず肩が跳ねた。丁寧で優しげな声は、起こさないように配慮した小ささ…対して荒っぽい口調の渋い声は、こちらのことなどお構い無しの大きさ…どっちもイケボなのは言わずもがな。そして、どっちも聞き覚えがあった。  というか、丁寧な方は声を聞くだけでも胸がキュンとする…!この声…何度も何度も通い詰めて聞いたあの人と同じなんだもん…!  シャっと高い音を立てながら、背後のカーテンが開けられる。やっぱりその音にも驚いて肩を揺らしてしまった。 「おい、大丈夫か嬢ちゃん」  ど、どうしよう…心の準備が出来てない…!ね、寝癖とか、顔に枕の跡とかついてないかな…?! 「おーい、嬢ちゃん?」 「ちょっと…まだ具合が悪いのかもしれないですし…」 「んなわけ…」 「貴方、乱暴なんですって…大丈夫ですか?新入生君」  諌めながらこちらへ近寄ってくる足音。優しく声をかけながら覗き込んできたのはローズとは違った、深い緑の瞳。それから揺れる、くすんだ銀色の髪。心配そうに眉を下げている顔は、攻略キャラのような際立った美しさはないけれど、とても整っている。だめ…見ただけで、興奮してきた… 「あ…、」 「顔が赤いですね…熱があるのかな…」  大丈夫?ともう一度声をかけられて、息が止まる…。  この人で、間違いない。私がこのゲームで推していたキャラ…売店のお兄さん…!!!!  転生したって分かったときから、もしかしたら推しに会えるかもなんて想いがちらちら脳裏を掠めていたけれども…こんなに早く対面するとは…!しかも、こんな近距離で声までかけてもらえてるなんて…!  売店のお兄さんって呼ぶぐらいだから、ゲーム中では名前も出てこない脇キャラ中の脇キャラ。  ゲーム自体は、攻略に役立つアイテムなんて使わなくてもクリアは可能。だから、効率重視の人ぐらいしか売店なんて利用しない。プレイヤーによっては、この人のことを知らない可能性だって大いに有り得るほどだ。  だけど、そんな不憫な売店のお兄さんの元へ通いつめると、お兄さんの態度が徐々に親しげに変化していって、1度だけイベントが起こる。  好感度アップさせるドリンクの発注を忘れてしまい、品切れになってしまっている。それをごめんねって謝りながら、代わりにこれをってでっかい飴をくれるっていうイベント。  そのシーンはちゃんとスチルにもなってて、カウンター越しに苦笑しながら飴を渡してくれてる。表情の差異まであって、最後に悪戯っぽく笑う顔が、堪らなく、好きだった…!!  おまけに貰う飴の効果も抜群で、1つでドリンク3倍ぐらいの好感度アップをしてくれる。  公式ってば、そこまでやってくれたのに、なんで攻略対象に入れなかった?!って何度泣いたことか…! 「お前のせいだろが」 「わっ、」 「わりぃな、嬢ちゃん。俺たちは怪しいもんじゃねぇから」  いけない、お兄さんのことを思いすぎて現実を見ていなかった。  私の意識を連れ戻したのは、荒っぽい口調で少しだけ気遣う声だ。眼鏡の奥にある刻まれた皺を深くしながら苦笑を浮かべている姿は、イケおじそのもの。もちろん、この人のことも知っている。  白衣を身にまとっているから、何も知らなくても察しがつくだろうが、この学園の保健医。ちなみに彼も脇ながら人気の高いキャラだ。  その保健医が、推しの首根っこを掴んで引っ張りあげていた。私のおかしな行動を、寝起きを覗き込まれて恥ずかしがっている女学生…そんな風に捉えてくれたのかもしれない。  有難い…あなたが捕まえている男の人の一枚絵だけで、とんでもなく興奮していましたなんて…とても言えない… 「保健医をしてる、ドナートだ」 「私はここの売店で働いています、リアムです」  よろしくね、と人好きのする顔をされてまたもや頬に熱が集まるのを感じてしまう。  画面越しじゃなきゃダメ、二次元じゃなきゃ無理とか思ったけど…三次元でもやばい…優しいお兄さん値がカンストしていて、正直好き。尊い。意味が分からない。もう結婚しよ?  内心這いつくばって悶えていても、必死にそれをひた隠して…体を起き上がらせて、赤くなっていそうな頬を両手で抑えつつ勢い良く頭を下げた。 「ユ、ユノと言います…!よ、よろしくお願いします!!」  裏返った声で返すこと数秒。驚きなのか、ドン引きなのか、原因は分からないけど訪れた沈黙を、ドナートの吹き出し笑いがかき消してくれた。  場の空気が和むと、リアムからもフッと息が抜ける音がする。推しがどんな顔してるか見たいけど見たくないけど見たい…!悶々としながら欲望に負けてそろりと顔をあげると、優しく細められた緑と目があった。 「ユノか…面白い子だね。こちらこそ、よろしくね」  ああ…!神様ありがとう…!転生モブ女、推しにこの1年を捧げます…!
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