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8月31日
休日に寮まで迎えに行くのはさすがに目立つってことで、待ち合わせは10時に中庭前になった。
リアムに覚悟していて下さいと言われた日の朝。
私はいつも起きる時間の2時間前にはすでに目が覚めていた。
朝ご飯を食べるよりも睡眠を優先したいほど、朝はゆっくり寝ていたいタイプの私だから、こんなに早く起きるのは本当に珍しい。
中庭は寮を出てすぐの所にあるため、余裕を持っても9時に起きれば十分すぎるのに…時刻は朝5時。窓の外は微妙に薄暗く、鳥の鳴き声すら聞こえない。
洗面所で顔を洗って、鏡に映る自分を見つめる。あまり顔色はよろしくないし、クマも出来ている…緊張で眠れなかったと顔を見たら即でバレそう…
昨日の夜だってなかなか寝付けなくって大変だったのに…好きな人と休日に会うだけでこんな状態になるのは、前世含め初めての経験かもしれない。
今日は一体何をするんだろう…私服で来て下さいね、とだけ伝えられているから、制服は着ていけない。
私服だなんて、大変な指定を受けてしまったため、昨夜から悩みに悩み抜き…少ない洋服の中でもまだ田舎っぽく無いワンピースをチョイスした。
以前の誘拐事件でダメにしてしまってから、私服を増やさなかったのを大後悔だ…こんなことなら、もうちょっと可愛い服を買っておけば良かった。
黒一色で可愛げも無い膝丈のワンピース…まるで使用人みたいな格好だけど、一番これがマシだ。他はくすんだ渋い色ばかりで…そりゃあモブだもん、背景に溶け込む色しか持ってないよね…意識してなかったけど、納得の色合いだ。
地味さ全開の服を着て、予定の30分前には待ち合わせの中庭へと向かった。緊張のせいかいつもよりも、足がゆっくりとしか動かない…ある意味早く出てきて良かったかもしれない。
そんなことを考えながら入り口にある花のアーチをくぐれば、少し先に佇んでいるリアムを見つけた。いつもの職員用の制服じゃなくって、薄いグレーのロングコートみたいのに、黒のストールを肩へと巻いている。おまけに顔には銀縁の眼鏡…
普段と違う装いを見れるだけでもドキドキするのに、きれいめコーデですっきりまとめてくるなんて…!あまりの尊さに全ての動きを止めて、その場でじっとリアムを見つめてしまう。
あからさまな私の視線に気付いた彼は、俯き気味だった顔を上げると迷わずこちらへ視線を向けてきて、にこりと微笑んだ。やばい…推しの眼鏡姿とかやばすぎる…鼻血がでそう…!
「ひょ…!」
変な叫び声を上げてしまいそうだった口を、手で押さえる。未だにその場で一歩も動けない私の元へ、リアムは笑顔のまま早足気味に寄ってきた。ああ…ロングコートの裾を翻して歩く姿が本当格好良いです…私は今日、死ぬかもしれない…
「おはようございます、ユノさん」
「おはよう、ございます…!」
どうしよう、毎日会ってるって言うのに、服装が変わるだけでこんなに緊張するものなんて…!ガチガチになりながら挨拶を返すだけで精一杯すぎて…リアムの顔なんて見れないよ…!
リアムだって私がもじもじしているのに気付いているだろうに、普段よりも近い肩が触れる程度の距離まで詰められる。行きましょうか、とさり気なく手を繋がれて歩き出す…それがとんでもなく優しくて…本当好き…
出会って数分で色々と振り切れてしまいそうな私は、リアムに連れられてゆっくりと街へと向かうことになった。
◆
「リ、リアムさん…私、場違いじゃ…」
いつもはすぐに下町の方まで降りてしまうから、歩いたことは無かった高級街エリア。
気品溢れるリアムは良いとして、使用人みたいな私が歩いていると浮きすぎている。彼の隣に居るのすら申し訳なくって、そう問いかけてみたけど、大丈夫ですよと微笑み返された。大丈夫じゃ無いから聞いてるんですけどぉ…!
「大丈夫ですよ、私に任せて下さいね」
一体何が始まると言うのか…もう少しですからと言う言葉を信じて、隣を歩いていくけれど…周りから向けられる視線が痛いと言いますか…申し訳ないと言いますか…イケメンの男とみすぼらしい女って取り合わせのせいで、結構視線を集めてるってのにリアムは気にすることなく進んで行き、一軒の店の前でやっと止まってくれた。
明らかな高級店の扉を、迷うこと無くリアムは開けてしまった。ああ、そんな…!入ったら最後みたいなお店の扉になんてことを…!
ぎょっとする私の前で、ふんわりと微笑んだ推しは、どうぞと促してくる。レディファーストで優しいのはすごく嬉しいんですけど、ここに入るんですか…!目だけで訴えてみるも、にこにこしているだけのリアム…これは入るしかなさそうだ…
いざとなったら、恥を忍んでお金無いですと告白して走って逃げるしかない…!そう心に決め、深呼吸をすると高級店へ足を踏み入れた。
店内は自然光がたっぷりと入るように設計されているようで、予想外の暖色系な暖かみに溢れた印象だった。フリルをたくさんあしらった洋服や、靴、帽子、アクセサリー…そんなものを取り扱った女性服専門店みたいだ。
「わ…」
こんな可愛いがたくさん詰まった空間に入るのは生まれて初めで…思わず声が漏れてしまう。
「どれでも好きな物をどうぞ」
「え…?」
「ユノさんの好きな物を知りたいんです」
「え、で、でも…」
「覚悟していて下さいと言ったでしょう?付き合ってもらいますからね?」
確かにそう言われましたけど…笑顔だけど私の意見はまるっと無視をしたリアムは、華やかなワンピースが何着も置いてある元へと私を引っ張っていく。
お金無いんですってば!と喉元まで出てきた言葉も、目の前に広がる可愛い洋服を前にしたら、簡単に飲み込んでしまった。
すぐに目に入ってきたのは、白いブラウスと緑のスカートを合わせた服を着せられたトルソー。ブラウスには綺麗な刺繍とフリルがあしらわれていて、焦げ茶のリボンが首元に下がっている。スカートは淡いチョコミントみたいな明るい緑色の生地の上に、更に淡い緑のオーガンジーのようなふんわりした布がたるませて、上とお揃いのリボンで留められている。
お嬢様のお出かけ服って感じのコーディネート、甘さへ極振りしているそれは私にはほど遠い一品だけど…とても可愛らしい。しかも、色合いがまさしく推しって言うのもあって…一目惚れするには十分すぎる物だ。
ぽーっとその服を眺めていれば、それが気になる物なんだって言ってるようなもので…いち早くリアムはそれを手に取ると、試着してみますか?と声を掛けてきた。
そ、そんな、メインキャラみたいな洋服着れません…!慌てて首を振って断ると、色合いが地味目なロングワンピースへと手を伸ばす。
茶色のギンガムチェックとおとなしめだけど、胸元や裾には大きめなフリルがあるし、高めの位置で切り替えられているウエストには焦げ茶のリボンが巻いてあったりと…さっきの服より地味だけど、普段着ている服と比べればかなり女性らしく派手なのは間違いない。
やっぱり可愛らしいそれを体に合わせて見せると、リアムは似合いますよと返してくれた。
「試着してみて下さい」
「うう…」
「お金の心配ならしなくて良いですからね?」
「う゛…」
「私、これでも結構稼いでるんですよ。ユノさんを養えるぐらいには」
「え…?」
「ですから、気兼ねなくどうぞ」
それってつまり、ここは買っていただけると言うことですか…?そこまでしっかりと確認をしたかったんだけど、私たちの様子を窺っていた店員が現れて会話は途切れてしまった。
そこからは早くって、気付けば私は更衣室の中へと放り込まれてしまった。
なんでこんなことに…呆然としながらも、着ていたワンピースを脱いで、先ほど手にとった洋服へと着替えていく。ついでとばかりに、似たようなデザインのワンピースやら靴やら、ましてや下着まで手渡され試着する物が増えていった。
◆
「それも似合いますねぇ…さて、寂しいですが、今日はこれでおしまいです」
にこにこ微笑まれながら渡された服を手に取る…何十回と着替えを繰り返した私は、その服を見る余裕も無く…はい、と疲れた声を出しながら受け取った。
それは本日分の服なので、全て身につけて出てきて下さいね、と言われ素直に頷いて更衣室の扉を閉める。
今まで試着していた服を傷つけないよう慎重に脱いでハンガーへ掛けてから、渡された一式へ目をやり…固まった。
そこには、私が店内ヘ足を踏み入れて、まず最初に見つめていたあの可愛いお嬢様のお出かけコーデ推し色バージョン…これが一番可愛いって思っていた私のことを、しっかりとリアムは見抜き、覚えていたようだ。く…恐ろしい男…!
おまけに、その服に合うようと白いニーハイや可愛らしい靴、ベレー帽…後、お揃いの色をした下着まで揃っていた。え、嘘、もしかしてこれ全部着て、リアムの前に出ないといけないってこと…?
このスカート丈ならニーハイでもタイツっぽく見えるけど…それでもあえてニーハイを選ぶとは…エロポイント抑えてきているじゃない…
動きが固まった私へ追い打ちをかけるようにして、軽く扉をノックされる。ビクっと肩を揺らしそちらへ目を向ければ、扉の向こうから心配そうなリアムの声が聞こえた。
「ユノさん大丈夫ですか?お手伝い、いりますか?」
「だ、大丈夫です…!!」
ど、どうしよう…これはもたもたしていられない…女は度胸よ、ユノ!!
自分を奮い立たせて、可愛いがこれでもかってほど詰まった服に手をかけた。フリルがたくさんあしらわれた清純派な下着を身につけ、初めて履く白ニーハイへ足を通し、一目惚れした洋服へと着替えていく。
渡された一式を全て身につけてみれば、まるでどこかのお嬢様にでもなったようだ。
「か、可愛い…」
全身を映す鏡の前で、両手を広げて回ってみる。たっぷりと布を使った全円スカートが、ふんわり翻る様子が堪らない。
「ユノさん、着替え終わりましたか?」
「あ、は、はい…!」
服の可愛さに見惚れていた所で、再び外からリアムに声を掛掛けられてしまった。2回もすみません。
そっと試着室の扉を開けると、まずは顔だけを覗かせた。
「えっと…」
「おや、見せてはくれないのですか?」
こんなフリフリで可愛らしい服を着たのなんて初めてで、正直恥ずかしすぎる。もじもじしている私に、リアムは楽しそうに笑いながら首を傾げてきた。うう…分かってます、見せますよぅ…!ドアノブを手汗で湿らせながら、ゆっくりと開いていく。
全身が見えるぐらいまで開けると、もう恥ずかしくって…!思い切り視線をリアムから外してしまう。こ、こんなモブがこんな可愛い服着ちゃってすみません…!
「すごく…可愛いらしい…」
「ええ!!大変お似合いですよ、お客様!」
噛みしめるように言ったリアムの後ろで、今までずっとサポートしてくれていた店員さんの大きな声が聞こえる。めちゃくちゃ恥ずかしいから、あまり大声を出さないでもらいたいんですけど…!
「よろしければ、化粧と髪もお手伝いさせて頂けませんか?」
「おや、それは良いですね」
「え?!ちょ、悪いですよ…!」
「いえいえ、料金は頂きません。どうぞこちらへ」
ノリノリで話しを進めていく店員とリアムに、私の言葉は届かないようだ…まあサービスなら良いかなとも思うんだけど…
「リアムさん、時間は…」
「大丈夫ですよ、早めに行動も出来ましたしね」
あ、そうですよね、考えれば30分も前倒してるんですもんね。
お言葉に甘えましょうとリアムに背中を押され、店員の後ろをついて行けば、大きな鏡の前へと座らせられる。こんなメイクスペースまで確保しているなんて…相当高いお店なんだろうなぁ…場違い過ぎて腰が引けてしまう。
恐る恐る椅子に座れば、すぐにメイクから始めてくれた。厚すぎず薄すぎず…前世ではそれなりに社会人女子をしてきたから、メイクのやり方ぐらいは心得があったけど、やっぱりプロがやると違うもんだ。
きちんとしたブラシを利用して施されれば、見る見る内にモブ顔ですら華やかな印象へと変わっていく。塗る機会など絶対に無いと思っていたピンクの口紅が白めの肌に合っていて…出来上がりを見て驚いた。
「す、すご…」
「元が可愛いですから、化粧のし甲斐があります」
「いえいえ、お姉さんの腕が良いだけですって…」
「ふふ…彼氏さんの言っていた通りですね」
「え…?」
「自覚が足りないと嘆いてらっしゃいましたよ。素敵な女性なのだと知らしめてやりたいんですって」
「な゛…ッ」
綺麗なハーフアップを作りながら、店員はとんでもないことをさらっと口にした気がする。驚いて固まる私に、もっと自信を持って下さいね~と堰を切ったように話し始めたけど、しっかり手は動き続けていた。
もしかして、この前田舎娘って自虐したやつがリアムにとってはとんでもない地雷だったのかな…自分の恋人が平凡だと卑下されれば、確かに気分は良くない。
昔、リアムを脇キャラのくせにとか言ったヤツに、彼の素晴らしさを朝まで語り尽くしてやったことは前世の私の良い思い出だ。それはリアムにとっても同じだったのかもしれない…。
「とっても愛されていて、うらやましいです」
その言葉をしっかりと噛みしめる程度には、自覚したわけで…リアムの作戦は、開始数時間で大成功を収めたのは間違いないだろう。
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