12月25日その3

1/1
690人が本棚に入れています
本棚に追加
/52ページ

12月25日その3

   宙に放り投げ出される体は、地面へ向かって落下していく。恐ろしいほどのスローモーションで通り過ぎていく景色。目に飛び込んできた空は、薄暗く灯り一つ見えない曇り空。最期に目にした景色が曇り空とか…笑える…。所詮私はその程度だったのか…  何、期待してたんだろう。誰かが助けてくれるかもなんて、あるわけが無い。  所詮モブ女、いくら攻略対象と仲良くなろうが、彼らは都合良く現れたりはしない。であれば、都合良く無傷で済むわけも…  なんて、冗談じゃ無い!こんなところで死んでたまるか…!!閉じかけていた瞳を見開き、未だゆっくりに感じる景色をぐるりと見渡す。  運良く私より上から落ちてくるものは何も無い。最初から崖ギリギリの場所に居たようで、崩落を免れた他の場所も岩肌がむき出しだ。条件はゲーム内と全く同じだった。であれば、ヒロインたちが助かった要因のものがあるはず。彼女たちは、巨大キノコの群生に飛び込んで事なきを得た。  できる限り首を回し確認した落下先も岩だらけ…だけど、途中から地面までに掛けて、ある一角だけ毒々しい色が目に入った。見つけた、あそこだ…! 「うわぁああああ!!!!!」  落下する進路を無理矢理変更させる。両手を前へ突き出し、集中。現れた水の茨を伸ばして岩壁へと突き立てた。岩を砕き突き刺さった茨だったけど、落下の威力を止めるまでは及ばず、岩壁を削るようにして下がっていく。  力を全力で右へ掛けできる限り落ちる場所を動かした。そのせいで、茨で削り取った岩の破片が落ちてきて、何度も体へ当たる。 「いったい、なぁ…!」  頭目掛けて振ってきた大振りな岩を、更に増やした茨で叩き返す。全てを叩き返している余裕は無い…致命傷に成り得そうな物にだけ次々と茨を伸ばした。  少しは目的地点へ向かってはいるけれど、このままの落下速度と地面まで距離を考えれば、キノコまではギリギリ届かない…やるしか無い…!  今まで出したこともない数の茨を出現させ、岩壁を叩きつけた。そこを支点として、キノコ群生地目掛けて体を放り投げた。  呼吸を止め、数秒。  背中へ衝動が走り、巨大な笠へと体が沈み込む…そして、再び宙へ跳ね上げられた。成功だ…!  落下時より格段に速度は下がったけど、バウンドにより再び放り投げられ、今度はコントロールが効かなかった。このまま地面に落ちれば、死にはしないが大怪我するのは分かりきったことだ。なんとかしなくっちゃ…!  再び大量に出現させた茨を、手当たり次第に伸ばして絡みつかせ、2回目の笠への着地に成功した。これを何回か続ければ…!同じように茨を出現させ、絡みつかせた時に、突然目の前が揺れた。  かすみ、全ての物が二重に見える…体験したことの無いそれに飲み込まれるように、そのまま視界は真っ暗になった。  ◆ 「う…」  ふと、意識が浮上した。ゆっくりと開いた瞳に、地面を叩きつける水滴が写り込んできた。ぱちぱちと何回か瞬きをして、体に力を入れてみる。 「っ…!」  鈍い痛みを全身が訴えてくるけど、俯せ状態から起き上がれることはできた。  生きている…?奇跡みたいな出来事が、信じられない…。私は一体どうなったのか…緩慢な動きで辺りを見回してみた。  崖下は、切り立った岩場で囲まれていた。私が狙いを定めた毒々しい色をした巨大キノコの群生は、そんな崖の中間辺りから地面までの岩場にまで渡っていて、何カ所ものキノコの笠が見るも無惨に変形していた。凹んだり破れていたりしている笠の上を、私が転げ落ちていったんだろう…予想通り緩和材の役割を果たしてくれたようだ。  とても登れる高さではない崖上。むしろ、あんな高いところから落ちて、よく生き長らえたものだと思う。  それよりも遥か上にある空は相変わらず厚い雲に覆われ、星も月も見えない。代わりに冷たい雨が降り注いでいる。  月が見えないから、どれぐらい時間が経っているのか分からないけど…長い間気を失っていたのかもしれない。それを物語るように、体はすっかりびしょ濡れで冷え切っていた。  気を失う直前に感じた、平衡感覚を保てなくなるような目眩はもう感じない…腕は、動く。所々袖が破けて血が滲んでいるけど、問題無さそうだ…。  足も、大丈夫…擦り傷や打撲はたくさんあるけど、折れてるわけじゃなさそう。ゆっくりと地面に手を突きながら立ちあがってみる。途端に襲う目眩に体がぐらついた。倒れそうになる体を、足に力を入れて踏ん張り持ち耐えさせる。気持ち悪さと頭痛を耐えるよう目を瞑り、思わず片手で顔を覆った。 「ぐ、ぅう…!」  痛みのせいで指に力が籠もる…しばらくの間無心で耐えていれば、少しずつ痛みが引いていった。  ゆっくり呼吸を繰り返し、落ち着いてきたところで、やっと一歩進めることができた。  ひどい乗り物酔いをしたような状態で周囲を散策することは難しい。  せめて、雨をしのげる場所へ移動しよう…このままここに居たって、熱を奪い取られるだけだ。命の恩人とも言える巨大キノコたちの元へと進み、根元に座り込んだ。  正直言って、体調は最悪だ…魔法を使いすぎたのだと自分でもよく分かる。リアムとの特訓で陥った魔力切れの比では無い体調不良に、目を閉じ茎へ背中を預けた。想像以上に消耗をしているみたいだ…魔力も、体力も。  これからどうすれば良いのか…ぐったりとしている体では考えも纏まらず、雨が降る音だけを聞いていた。  しばらくの間、ザアザアと地面を叩きつける水音を聞いていれば、気持ちが落ち着いてくる…ローズの戦闘に巻き込まれてずっと興奮状態だった頭が、ゆっくりと醒めていくようだ…  落ちた時は、死んでたまるかって思った。あの時は本当に必死で、なんとしてでも生き残るって強い意志があった…だけど、実際に生き残ってみたら、不安しかない。  あんな高いところから落ちたんだ、きっと死んだと思われてる…クラスメイトだって、あの混乱でバラバラになってるはずだ…私なんて行方不明者の内の一人に過ぎない。生存率最悪な人間一人のために、危険を冒して崖下まで捜索してくれるだろうか… 「私、めちゃくちゃ貧乏くじじゃん…」  乾いた笑いが漏れる。死んだ方が、マシだったのかもしれない。そんなこと思っちゃいけない、諦めちゃいけないと分かっているのに、マイナス思考を止められない。だけど、不思議と涙は出なかった。  無事で良かった、もうダメだ、絶対諦めない、どうせ無理だ…ぐるぐる繰り返される思考。 「はぁ…」  なんだか疲れた…深くため息を吐き考えることをやめたら、吃驚するほど簡単に眠りにつくことができた。  ◆ 「…ッ、…ノ…!」  なんだか遠くで声がする。  せっかく何も考えずに居られたっていうのに、起こさないで欲しい…少しだけ薄く開けた瞳だったけど、諦めと少しの眠気との方が強くて再び閉じる。 「ユノ!!」  構わず眠ろうとしたところで、名前を呼ばれているのだと気付いた。すごい必死な声…そんなに大声で呼ばなくても聞こえてるってば…  ちょっとおかしくなりながら、ゆっくりと目を開くと…飛び込んできたのは、最愛の人だった。 「あれ…?」  リアムさん…?答えるように名前を呼べば、相手が息を飲む。綺麗な顔を歪ませて…まるで泣くのを堪えるようなその顔は、初めて見る表情だった。 「泣いてる、の…?」  そんな顔をしないで欲しい…なんとか止めさせることは出来ないかな…  とても重く感じる腕を上げリアムへ向けて差し出したら、彼に手を掴まれる。私の指先へ擦り寄せるリアムの頬には、赤い線が走っていた。だけど、そんな怪我に構うことはなく、瞳を閉じて何度か頬を擦り寄せ、大きく息を吐く。ゆっくりと瞼が上がれば、悲しそうな表情は無くなっていた。 「怪我は?ひどく痛む所は?」 「だいじょうぶ…」  私の答えを聞いてるのか…指先から腕へと移動したリアムの手は、押したり曲げたりと力を加えて痛むか質問をしてくる。  なんでこんなところにリアムがいるんだろう…?都合の良い夢でも見てるのかな…  未だにぼんやりとしている意識の中で、目の前にいるリアムを観察した。  四肢を確認している彼もまた、ずぶ濡れになっていた。水が滴る黒いコートは重そうだ。夢にしてはやけにリアルだなぁ…。足を触っていた手は、顔へとやってくる。  だってほら、少し低いと感じていたリアムの手が、今はとても温かい。 「へへ…」 「ユノ…?」 「貴方に、会いたかった…」  なんて幸せな夢なんだろう…嬉しくて微笑めば、なんだかふわふわした。  嬉しくて頬が緩んでいると言うのに、そんな私を見たリアムは、辛そうに唇を噛む。さっきからなんで苦しそうな表情を浮かべるのか…夢ならもっと、優しく微笑んで欲しい。 「るせ…アンタが心配させるからだろうが…」 「私のせいなの…」  どうやら私の考えがリアムには読めるらしい。むっとした私の両頬へ、覆っていた手に力を込める。むぎゅっと押されたけど、すぐに解放された。  それから、優しく頭を撫でてくれる…どうしたんだろう。不思議に思いながら見上げたら、彼の口元には今度こそ笑みが浮かんでいた。愛おしげに細められた深い緑がキラキラ輝いていて綺麗だった。 「ユノ…生きてて良かった」  ゆっくり近付いてきたリアムに、抱きしめられる。まるで壊れ物でも扱うような優しい動作は、怪我をしている私が痛くないようにしてくれてるのかもしれない。良かったと何度も呟く声が聞こえ、なんだかくすぐったくなる。  こんなにも、私のことを案じてくれる人が居たんだなぁ…死ぬまいと頑張って、良かったなぁ…  目を閉じて、リアムの背中へと腕を回す。包み込まれる温かさが気持ちいい。納まりの良いリアムの腕の中、張り詰めていた緊張の糸が解けていくのを感じる。 「生きててくれて、ありがとう」  額へ、軽く触れるだけのキスを落としてくれる。優しくぽんぽんと背中を撫でられ、目頭が急に熱くなった。急に視界が滲んだと思えば堰を切ったように涙が溢れ出てくる。 「リアム、さ…」 「ん?」 「あいたかった…」 「ああ」 「しにたく、なかった…」 「当たり前だ」  みっともなく泣きながらぽつぽつ吐き出す弱音に、リアムはうんうんと頷いてくれる。いつもみたいな優しい言葉遣いじゃない、素っ気ない話し方なのに、今までに無いほど優しい。 「こわかったよぉ…!」 「悪かった…もう、一人にさせたりしないから」  何よりもその言葉が嬉しくって、これでもかってほどに泣きじゃくってしまった。
/52ページ

最初のコメントを投稿しよう!