5月17日その3

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5月17日その3

   いつもの優しげな微笑みも好きだけど、ちょっと悪そうな顔も堪らないです…  恐ろしくポジティブな私の頭が萌えポイントを見つけると言う現実逃避をしていると、リアムは後ろに回って、縛られている縄を解いてくれた。そいやまだ縛られたままだったんだわ、私…。 「とりあえず、今のは聞かなかったことにしときますんで。私の方も内密にお願いしますよ?」 「え、あ、はい…」 「全く…なんでこんなところに貴女が居るんでしょうね」 「それは私も知りたいです…」 「下はもう制圧されているから安全でしょう。とっとと逃げて下さい」  おっ、素性がバレたせいで少しだけ言葉遣いが荒くなった?もしかすると、素は荒い口調の方なのかもしれない。そこも萌える。  推しの新たな一面を垣間見て感動していたせいで、反応が薄くなっていた私に、聞いてんのか?っていつの間にか前に回ってきたリアムは顔を近づけて声を掛けてきた。 「ひゃい…!」 「ユノさんは危なっかしいからなぁ…って、アンタその顔どうした?!」 「え…?」 「女相手に信じられない…立てますか?」 「あ、大丈夫です!」  気遣うように手を差し出されたけど、それには掴まらずに足に力を入れた。こんな重い体を引っ張り上げるなんて…ほっそいリアムの腕じゃ折れてしまいそうで…  だけど、動かした瞬間に体のあちこちから軋むような痛みがする。あまりの痛さに顔をしかめてへたり込むと、リアムはチッと舌打ちをした。  あ、す、すみません…大丈夫とか言いながら立ち上がれなくってすみません…予想以上に体がダメージ受けてたみたいだけど、推しの好感度を下げない為にも、ここはもう一度…! 「大人しくしてて下さいね」  そう耳元で囁いたのを聞いた後、体がふわりと宙に浮いた。何が起こったのか理解できず呆然とリアムを見つめていると、スタスタ窓まで歩み寄り枠へ足を掛けた彼がにこりと微笑む。 「怖かったら、目を瞑っていて下さい」  え、いや、ちょっとまって…まさか、そんな…嘘だよね…?  尋常じゃ無い手汗をかきながら、私を抱き上げているリアムの服を握りしめる。すると、彼は何でも無い顔をして、夜の空に向かって飛び降りた。  う、嘘でしょー?!?!私絶叫系苦手なのー!!!あまりに怖すぎて、声も出ない。下を見てはいけないってことだけは理解できて、必死に上を見上げていれば、夜空と風に髪を靡かせて走るリアムが映った。それはそれはイケメンなんだけど、楽しんでる余裕なんてこれっぽっちもない。  それどころか、私の視線に気付いたのか前を見ていたはずのリアムは、こちらの方へ視線を向けてきた。 「ふは…っ、ユノさん、すごい顔…」  無邪気に笑って下さいましたが、そんなサービスいらないんで前見て下さい…!  今日だけで寿命が半分ぐらい縮んだんじゃなかろうか。  ◆  売店へ帰ってきたリアムは、そのままバックヤードの方まで私の事を運び込んだ。  高い位置にある小さな窓からだけでは、室内全てを照らしきれておらず、薄暗い。  昼間しか見たことの無い室内だったから、少しだけ不思議な気分だった。  休憩用に置かれているソファーへ私のことを降ろしたリアムは、テーブルの上に置いてあるランプを灯してくれた。温かい光に包まれ、なんだかそれだけでほっとする。  このソファーとテーブルは、以前テスト勉強をする時にお世話になったやつなんだけど…まさか、こんな形で再びお世話になるとは思わなかった。 「ちょっと待ってて下さいね」  そう言い残して店内へと戻っていく。やっと安心できるところまでこれて、なんだか一気に体の力が抜けてきた…。  ぐったりとソファーに横たわり、目を瞑っていると、なんだかビン同士がぶつかるような音がした。  落ちてきそうな瞼を無理矢理開けてみれば、重そうな黒いコートをだるそうに脱ぎ捨てるリアムの姿。それがいつもの優しいお兄さんとのギャップがあり…なんと言いますか、ぶっちゃけ雄みがすごい。見てはいけないものを見てしまった気がして、目を伏せた。 「さて…今の時間じゃドナートはいないので…応急処置しかできませんが…」  どこからでてきたのか、桶に瓶ボトルの栓を抜き惜しげも無く中身を出すと、その水で布を湿らせる。綺麗な細工が施されている瓶は、大変高価な聖水が入っている物とそっくりで…思わず喉の奥が引きつった。 「そ、それ…」 「え?…ああ、ユノさん聖水までご存じなんですか?」  補助道具について詳しいんですね、と感心されたけど、そういう問題じゃ無い。やっぱり聖水か…!とても私には払いきれない高価なアイテムだ。  使うのはやめて…!私はただの水で十分よ…!首を振って伝えてみたが、リアムは、はいはいと聞き流し私の口元へ布をあてた。  聖水の冷たさと、沁みてぴりっとする痛みが走り、肩が震える。 「治癒魔法、使えれば良かったんですが…すみません」 「リアムさんが謝ることないですよ。むしろ、私の方こそすみませんでした…」 「ユノさんが謝るのはおかしいのでは?」 「え?でも、助けてもらった上に、手当てまで…」 「貴女は巻き込まれた被害者なんですよ、当然でしょう」  リアムの小指の先につけた傷薬は、以前お世話になったものの数倍効能が高い薬だ。それを口元に軽く塗りこまれると、少し怒った口調で窘められてしまった。  それから、私の全身を一度見て困ったように眉を寄せる。 「その様子じゃ、全身やられてますね…」 「あー…そうですね、どったんばったんしましたね…」 「よければ、怪我の手当てをさせて下さい。と言っても、私に素肌を見せるのは抵抗もあるでしょうし、そこはユノさんに任せ…」  全て言い切る前に、弾け飛んだボタンの更に下2つ程を開けて、ワンピースから腕を抜き取る。下着だけになった上半身のまま、背を向けて準備万端の体勢をとった。  めちゃくちゃ恥ずかしいけど…!推しに手当てしてもらうなんて!しかもこんな深夜、密室で、ちょっとえっちな雰囲気で!いや、そこはもうやってもらうの一択しかないでしょう! 「はー…ユノさん、警戒心って言葉、知ってます?」  背中越しに頭を抱えているのが分かる。だけど、すぐに戸惑うような手つきで手当ては再開された。無言で行うそれにムードなんて全くない。本当に、ただの手当て。  リアムにとっての私は、まだまだ妹分みたいなものなのかもしれない。それでも、私にとっては幸せな時間だ。  背中が終わって、前を見て貰う頃には、恥ずかしさはどっかに飛んでいってしまった。それは、思ったよりも痣だらけの私の体に、リアムが悲しげな表情を浮かべていたのもあったからかもしれない。  蹴り上げられた腹部が青黒く変色していて、衝撃の強さを物語っている。触れられると痛かったそこだけど、リアムの薬のせいか、塗られた所からどんどん痛みが治まっていった。すごい効果だ。 「痛くない…」 「気休めです、明日絶対にドナートに看てもらってくださいね」 「はーい」 「…何笑ってるんですか」  幸せを心の中で噛みしめていたはずなのに、顔にでてしまっていたらしい。私の前で膝をつき手当てをしてくれていたリアムは、にこにこな私の顔を見て眉を寄せる。 「えーっと、ちょっとくすぐったかったもので」 「嘘でしょう」 「えぇ、それじゃあ…」 「ユノさん?」  咎めるような視線に、苦笑でしか返しようが無い。しっかりと大好きです発言も聞かれてしまったわけだし、今更取り繕っても仕方ないか。 「リアムさんに助けて貰って、嬉しかったんです」 「私に…?」 「巻き込まれた時は許せなかったし、怖かった。彼女は助かっても、私は助からないんじゃ無いかって思ってたから、自分でなんとかしなきゃって。でも、どうしようもできなくて…殺されかけた時に私のことを助けてくれたのが、好きな人だったから」 「な…っ」 「聞かなかったことにしないで下さいね?私、リアムさんのことが好きなんですから」  しっかり目を見て伝えると、リアムの目が泳ぎ私を一切見てくれなくなった。少しだけ頬を赤くしている…初めて彼が狼狽えてる姿を見たかもしれない。部屋の中を慌ただしく見渡すリアムだったけど、一点を捉えるとぴたりと落ち着きを取り戻した。  そして、今度は暗く淀んだ瞳で私のことを見つめ返してきた。 「アンタも見てただろ、俺が人殺してたの」  背筋がぞくりとする視線だけど…目を逸らしちゃいけない。唇を噛んでじっと見つめ返す。 「実際の俺は汚い仕事ばっかしてるやつかもしれないよ?」 「それでもいいです」 「アンタのこと利用してるだけかもしんない」 「望むところです」 「アンタが好きなリアムはさ、猫被ってるだけだぜ」 「だからなんですか」 「はー…わっかんない女だなぁ」 「分かってないのはリアムさんでしょう!」 「はぁ?!」 「私は貴方が好きなの!確かに最初は見た目だったけど、いまでは全てが大好きなの!大体、優しいお兄さんじゃなかったって醒める恋だったら、助けて貰ったときに名前なんか呼んでない!」 「…確かに」  よし、勝った…!きゅっと握り拳を作る。  私との言い争いは無駄だと察したリアムは、諦めるように深くため息を吐き、ガシガシと頭を掻く。それから今度はスカートを捲りあげて足の治療へと移っていく。 「変わってますねぇ、アンタ」 「そんなこと無いです、ごく一般的な女子ですよ」 「目の前で人が死んだってのに、悲鳴1つあげない女は一般的じゃないですよ」 「さすがに、あの時は仕方ないんじゃ…」 「それに、思ってた以上に気の強いお嬢さんみたいだし」  た、確かに…仰るとおり、リアムの前ではかなり猫被ってたところはある…口に出さないだけであって、決して大人しい女ではないんですよ、私…。  それが気まずくて様子を伺う様にリアムを見れば、彼は困ったように笑い返してくれた。 「やっぱり、お互いの為にも…二人だけの秘密ってことにしてもらえませんか?」  人差し指を立てて首を傾げる姿に息が止まるし、言葉の選び方がずるい…!尊すぎて顔を見ていられずに、両手で顔を抑えてしまった。 「ふぁい…!!」 「はい、有り難うございます」  優しいお兄さんだと思っていた推しは、優しいだけのお兄さんじゃなかったことを知った夜だった。
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