5月17日

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5月17日

   朝、教室の前の廊下に、数少ないクラスメイトたちが集まっていた。  挨拶をかわしつつ皆が注目している壁を覗き込むと、この前に行ったテストの結果が張り出されていた。よりにもよって、最下位まで丸わかりの配慮の無い内容に顔が引きつる。  正直テストの結果はそこまで自信は無い…1番上にラミ、次にリーンハルトと続く中、ひやひやしつつ名前を探せば、真ん中より少し下の方で見つけた。良くも無く、悪くも無く…モブらしい成績だけど… 「こうやって張り出すのってどうよ…」  今時の教育って、他人と比べることしないんじゃなかったっけ…?私最下位で張り出されたら心折れるよ、これ…  容赦の無い方針にドン引きをしていたら、そうだねと隣から声をかけられた。 「張り出すなら上位者だけとか…それでいいと僕も思うよ」 「あ…ラミ、さん…」  名前を言う私に、ラミは小さく微笑みだけを返した。  彼と言葉を交わしたのは、これが初めてだ。だけど、それより以前に図書室でののぞき見事件がある…あの時の姿が一気に蘇って、顔が赤くなってきた…  その反応を見てなのか、ラミは小さく笑い声を漏らす。 「ラミでいいよ」 「え…あ、ありがとう、ございます…」 「イヴァンとは仲良しなのに、僕とは距離置くなんて…なんか寂しいな」 「うぇ…ッ、」 「ね、ユノ?」  現役王子様だけはある…甘く微笑む姿は、まさしく乙女ゲーの王子様キャラ…!  左腕は胸の前に組み、その上へ右腕を乗せて人差し指を顎にあてている姿は、ゲームで何度も目にした立ち絵そのものだ。すげぇ、本当にそのポーズとるんだ… 「言い触らさないでいてくれたんだね」  呆然としていた私の耳にだけ届くような、低い声でラミが囁く。  その声が、聞いたことが無いぐらい無感情で…これは、返答を間違ってはいけない問いかけだと本能が告げてくる。  探るようにラミを見上げてみたけれど、彼の視線はすでに前へ戻っており、全くこちらを振り向かない。これは自分に従えってことか…仕方なく、倣って前へと顔を向けた。 「別に…言っても何も得にならないですし…」 「そうかな?少なくとも僕の評価は下がりそうなものだけど…?」 「私みたいな目立たない女と、ラミだったら…みんなラミの方を信じますよ」 「自分のこと、そう思ってるの?」  意外だったのか、視線だけを私の方へ寄越したラミから、さっきまでの張り詰めたような空気が薄くなった気がした。 「背景に溶けるの得意ですし」 「何それ」  笑いを堪えきれなかったようで、聞き返す声が震えている。ちらっとラミの方を見れば、彼は珍しく自然な笑顔を浮かべていた。いつも浮かべてる作り笑顔よりも全然こっちの方が良いのになぁ。だけどそれは私から言うことじゃない。ラミの背後からやっと登場したローズが言うべき言葉だ。 「彼女、来たみたい」 「え…」 「一位、おめでとうございます」  そう言ってから教室の方へ向かい歩き出す。何かを言いかけたラミの声が聞こえたけど、それをかき消すようなローズの甲高い声がする。それ以降、彼が私に向かって何か言うことも無かったし、教室へと入っていった私に二人の会話が届くことも無かった。  ◆  テストも終わり一段落ついた週末。久しぶりにゆっくりできる休日を迎えられ、私は家族宛の手紙を出すために下町へ出てきていた。  私たちが通っている学園は、王の住んでいる王宮から比較的近い所に位置している。  王宮からの距離が近い所には、金持ちや貴族といった権力者が住んでいて、距離が離れていけばいくほど、位の低い人たち…謂わば、一般人のエリアへとなっていく。  自由に行き来は出来るし、一般人が王宮近くに住むことを禁止はされていないけれど、お金の関係上中々難しい。  必然的に、一般人たちは家賃の安い一番遠いエリアを選び、母数も多いために賑わいをみせてくるわけだ。  下町と呼ばれる一般人のエリアは、色々な店がある。  実家から仕送りを送ってもらってる身なので、贅沢は出来ないけど…見て回るぐらいでも充分に楽しい。  実家から持ってきた洋服は、いつも着ている制服と違って簡素な物で、モブみが増すのだけが残念だ。田舎から出てきましたっていう雰囲気がすごくって、やたらと声を掛けられるのが困る。  お金を稼げるようになったら、まずはもうちょっと綺麗な服を買うことにしよう。  疲れるぐらいまで街中をぶらぶらとした後に、当初の目的だった家族への手紙を握りしめ、郵便局へと向かう。閉まる直前に滑り込み、手紙とお金を受付に出してから外へ出れば、陽が沈み掛けてきていた。  よくもまあ、何も買わずにこの時間まで過ごせたな。息抜きになったし、さっさと帰ろう。今夜の食堂のおかずは何だろうなぁ。  機嫌も良く帰り道を歩いていると、少し先の店から見覚えのある女性が出てきた。鞄を後ろ手に持ち、くるっと踊るように回れば、短いスカートの丈が翻る。 「わ…」  圧倒的ヒロインの姿を見せつけられ、私の足は止まってしまう。これがヒロインの力か…呆然としている私の前で伸びをしていたローズは振り返り、その薄い緑色の瞳と目が合った。 「あら…貴女…」 「あ…あの…」 「学園の子よね、えっと名前は…」  眉を寄せ考えるローズから、私の名前が出るとは思えない。  学園で共に生活をするようになってから気付いたけど、ローズは基本的に男としか行動を共にしていない。まあ、ヒロインだし、このゲームに親友ポジのキャラはいないから当然といえばそうなんだけど…  私みたいなモブ女に興味を示すわけもないし…とりあえず、自己紹介をしておこう。愛想よく微笑みを浮かべるのも忘れない。 「ユノです」 「ああ、そうだった、ユノさんね。私はローズと言います」  存じております。危うく口から出そうになったのを飲み込む。  ローズも同じように微笑みを浮かべながらこちらへとやってくると、私の前で両手を後ろに組み、首を傾げた。それが悔しいほど可愛い…くそぉ、いつ見ても美人だな…! 「ユノさんも休暇を楽しみに下町へ?」 「はい…それと、家族に手紙を」 「まあ、そうなの。お一人?」 「ええ、まあ…」 「私は食事に来ていたの」 「食事ですか…?」 「ええ、そこのお店で、イヴァンと一緒にね」  へ、へぇ…左様ですか…。どうしよう、結構面倒くさい女だった…私の顔が歪んでないか不安だ…  ゲームではもうちょっと可愛い性格してたはずだったんだけど…やっぱり現実は違うんだね… 「そ、そうなんですか…えっと、イヴァンは?」 「…今、会計してくれてるわ」  今すごく嫌そうな顔しましたね…。あれですか、貴女の男のことを呼び捨てにしたからですかね。本人からそう呼ぶように言われてるんだから、ローズに何か言われる筋合いは無いんだけど…  もやっとした気持ちもあるけど、これ以上は何も言わないでおこう。対立したいわけでもないですし。  っていうか、奢らせたんだね…すげぇな、この人…  正直少しだけ引き気味でローズを見ていると、突然彼女が前のめりに倒れてきた。慌ててそれを抱き留める中、誰かが横を通り抜ける。 「ったぁ…!」 「だ、大丈夫ですか…?」 「もう、何なの…え、無い?!」  すぐに体勢を戻し文句を口にしたローズだったが、自分の手元を見て更に声を荒立てた。何事か、彼女の手元へ視線をやって納得、鞄がなくなっている。さっき横を通り抜けた人物にひったくられたんだ。 「泥棒-!待ちなさい-!」  状況を把握した私の横を、今度はローズが駆け抜ける。まじか、追っかけるのか…!  驚く私へ駆けだしたローズは何してるのよ!と振り返りながら叫んできた。何言ってるんだ、この人… 「追いかけるわよ!!」  そのまま前を向くと、先を走っていたひったくり犯を追いかけ始める。うそ、私も追いかけるの…?  私は遠慮したいとも言えず…急かされたローズの言葉に反応した体は、二人を追いかけるようにして駆けだしていた。 「もお…!あいつどこいったのよ!」  ひったくり犯が入っていった裏路地へ迷わず突っ込んでいくローズの後を追い、必死に走り抜いた先は行き止まりだった。  暗く大通りから外れたそこは、見るだけで治安の悪さが分かる。それに気付かないのか、彼女は見失った事をひたすらに憤っていた。  早くここから立ち去った方が良い、そうは分かっているものの、ランニングクラス二位の女の後を死に物狂いでついてきた私は、息も絶え絶え…崩れ落ちそうな膝に手を当てて、ひたすらに酸素を吸い込むだけの生物になっている。  貴女が遅いから、となぜだか私のせいにされかかっているが、こっちはそれどころでは無い。息するので手一杯だ。  そうこうしている間に、激しく喘いでいる私の後ろから、数人の足音とゲスい笑い声が聞こえてきた。何このお約束な展開… 「な、何よ、貴方たち…!」  珍しく震えているローズの声。ゆっくりと後ろを振り返ると、なんだか汚らしい格好をした男が三人ほど立っている。これはまずいんじゃないか…? 「こいつだ」  一人が指示を出すと、二人が私たちに向かって近づいてきた。抵抗したいけど、何も出来ない私と、やめてと叫ぶローズ。簡単に拘束され、腕を後ろに縛り上げられ地面へと投げ出される。  冷たい石畳に這いつくばりながら見上げれば、ちょうどローズが男に頬を平手打ちされてこちらへ倒れ込んできた。 「殺しはするな、価値が無くなる」  さっきまでの強気な性格はどこにいったのか…抵抗を止め、啜り泣き始めたローズも同じように縛られる。 「せいぜい役に立ってもらうぞ」  前髪を掴まれ顔を上げさせられたローズは、リーダー格の男に顔を寄せられながら脅されていた。  もしかしなくても、これは彼女のイベントに巻き込まれた…?  なんだテメェなかなかの上物じゃねぇか、やめて!とお決まりな会話を交わしている二人の背後で、無理矢理立たされた私は、小突かれながらも近くの荒ら屋へと押し込まれていく。こんな時まで背景な扱いに少しだけイラっとしたのは間違いなかった。
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