プラハの街角にて

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 二段ベッドの上段で目を覚まし、宿のWi-FiでYouTubeを見ていたら一日が終わった。しかし終わった一日は一日のみではなく、今日が何日目かもわからない。私が梶井基次郎であればこの心境を「不吉な黒い塊」というような洒落た言葉で表せたかも知れない。いっそ小説でも書いてみようか。熱海でも城崎でもなく、私は今プラハに“療養”しに来ているのだ。気分はもう文豪。そう思うと幾分気が楽になったが、小説なんか書いたこともない。途方に暮れながらまたパソコンの画面に目を落とし、Shazamで見付けたSimaの美貌に見惚れ、声に聞き惚れた。「Spolu」というスロヴァキア語のタイトルは英語で「together」を意味するらしい。  プラハに来てから、殆ど毎日積もらない程度の雪が降っていた。けれど今日は遂に積もったので、夕食を食べがてら雪景色を拝もうとドミを出た。身も凍るような冷え冷えとした空気は不思議と不快でない。北欧でオーロラを見る為に調えた重装備―と言っても単なるパーカーの重ね着であるが―が非常に役立った。東欧も十分寒い。  滞在しているドミトリーは観光地である旧市街から川を渡った郊外にあり、基本的に周りには何もない。プラハに着いた初日、地図を見てこれなら歩けると高を括って歩き出したら道に迷ったこともあり、重いバックパックを背負ったまま結局二時間近く歩かされてしまった。素直にインフォメーション・カウンターの係員の忠告に従って地下鉄かトラムに乗れば良かったと後悔した。そもそも地図の縮尺もわかっていなかった。実際に歩いてみると、旧市街だけでも結構な面積があった。折角の雪景色だからとすっかり陽も暮れた十八時過ぎから旧市街に向かうことにした。川沿いを歩いて、どこかの橋を渡れば着く筈だ。  一時間歩いて、結局橋まで辿り着けなかった私は見切りをつけて引き返すことにした。引き返しながら、やはり私の人生はこのように決定的な橋を渡れぬまま終わるのではないかという不安が俄かに実体を伴って襲ってきた。勇んで足を踏み出しては路頭に迷い、しかも引き返す道さえ定かでない。方向音痴を笠に着て、最初から地図を持とうともしない。何故人生がこのように抜き差しならない境遇に陥ったかと言えば、それは畢竟私の臆病の所以だ。小心を見せ掛けの蛮勇で繕うことによってしか、私は私を他人に示せなかったし、私自身自分を認識することもできなかった。
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