プラハの街角にて

1/8
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ

プラハの街角にて

 ヨォヨォ、と彼女は相槌を打っている。正確にはィヨォ、と聞こえるがスペルは知らない。  三十一歳を迎え、特に人生の岐路を迎える訳でもなく、ただひたすら東京から離れたい一心で、私はヨーロッパに来た。現在はチェコで、一泊五〇〇円の、廃墟みたいなドミトリーに宿泊している。宿泊というより沈没といった方がいい。何をする訳でもなくここに来たので、何をするでもなく、死ぬまでここに居られてしまう気がする。けれど生きているので、私は恋をした。生きていることと恋をすることとの間の関係は定かではないが、死体は恐らく恋をしないだろう。わからない。死体になったことがないので。猫は言葉を話さないので、人間にとっては楽だ。それを寂しいと感じる人間はそもそも猫を相手にする資格がない。けれど、本当に猫は言葉を話していないのか、猫には猫の、人間には解し得ぬ言葉があるのかどうか。わからない、猫になったことがないので。 「Anything else?」  と声を掛けられて我に返る。目の前には、泰然自若とした、何の衒いも感じさせぬ彼女の笑顔があった。何者にも媚びぬ笑顔とはこうまで美しいものかと思う。 「No, thanks」  頷いて彼女は縁に茶色く唇の跡の付いたコーヒーカップを下げる。コーヒーカップだが、中にはホットチョコレートが入っていた。ヨーロッパに来たからにはホットチョコレートと苺のタルトを味わわねばならない。それは幼い頃の刷り込みだ。母親がヨーロッパの石畳をスーツケースと私を引き摺って歩いていた時、彼女は三十歳で、私は四歳だった。私が憶えているのは、脚の痺れの他には、ホットチョコレートと苺のタルトの甘さだった。  この幸福は言葉が通じぬ故だ、と思う。言葉が通じるからには話を通じさせたい、話を通じさせる為にこそ言葉を通じさせたいというのが人情だろうと思うが、勿論私にもそうした人情があった。けれど、言葉の通じる日本で、東京で、私は結局誰かに話を通じさせられたことがあっただろうかと思う。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!