プラハの街角にて

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掌に収まる、突然手渡されても困惑の度がそれほど高くはないだろうと見積もられる鶴ができあがった。それから、もう一つ何か言葉を超えるものが欲しいと思って、レセプション前の休憩室の席を立って自販機まで歩くとBGMに誰かのラップが流れていることに気付いた。五〇チェコ・コルナのコインを一つ入れて生絞りオレンジジュースのボタンを押す。レールに沿って流れてきてはカッターで自動的に真っ二つにされていくオレンジを見ながら、ラッパーにでもなるか、と思った。ラップなんかしたことはないけれど、学生時代DTMもどきみたいなことをして遊んでいた時に作ったトラックをいくつか友達に渡したりしていたのを思い出した。だったら別に音だけでいい、iPhoneの打ち込みだけでも十分トラックは作れる。けれど私はラップをしなくてはいけない気がした。通じない言葉で、できないラップをする。そのことの中に、何か言葉によって言葉の呪縛を解く鍵があるような気がした。私は彼女の衒いのない笑顔に惹かれたが、それは彼女を道具として見たということなのだろうか。言葉によって人は理解し合わねばならないのだろうか、そもそも言葉によって人は理解し合えるのだろうか。通じない言葉さえも、人は理解できるのだろうか。それを確かめたいと思った。  火曜日の夕方、カフェに行くと彼女は顔を覚えていてくれ、礼の呪術的な魅力を湛えた笑顔で迎えてくれた。着席し、ホットチョコレートとクランベリーのケーキを頼む。苺のタルトはなかった。常連客と談笑していた彼女が十八時近くになって店仕舞いの準備を始める。店内のBGMが切られる。私は徐に席を立ち、会計に向かう。 「Hi, I’m Japanese and this is Japanese traditional ORIGAMI, do you know?」 「Yes, of course. Does it mean praying, right?」 「Yes. Can I give you this if you don’t mind?」 「Sure, thank you」  拙い英語のやり取りの末に、私は彼女に昨晩折った鶴を手渡すことに成功した。そして、意を決して言ってみる。
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