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ほんの一瞬だったか,ありとあらゆる嬉しかったこと楽しかったことが全身を駆け巡り,この一瞬がずっと続けばいいと願った。そして,一瞬の瞬きとともに意識が戻り,薄らと目を開けることができた。
『お前の時間はもうすぐ終わる。お前の想い出を喰いにきた』
目の前で醜く歪んだ動物のような顔をした生物が人の言葉を話し,陽翔の口からなにかを吸い続けた。
生物の顔以外は見たことのない部屋で四方をクリーム色のカーテンで仕切られ,天井はオフホワイトで小さな穴が均等に開けられているのが見えた。頭の横には小さなモニタがあり,カラフルな線が一定のリズムで波打つように左から右へ流れていた。
ベッドの横には母親と由佳がいた。母親は泣きそうな顔で陽翔の身体を摩っていた。由佳は両手で口元を押さえながら,驚きと恐怖を隠すように陽翔を見ていた。
陽翔はそっと目を開き,由佳を見ながら擦れる声でつぶやいた。
「由佳……。人が最後に観る映画……。たぶん,あれは本当だ……。あれが人生最高の映画ってやつだと思う……そして……最低,最悪だ……」
由佳は泣きじゃくりながら陽翔の手を握った。そして陽翔は微かに残る意識のなかで母親と目を合わせた。
「お母さん……もう,なにも思い出せないよ……」
陽翔はそう言うと,そのまま十五年と九十三日という短い人生を終わらせた。
診断書には「致死性不整脈による突然死の疑い」と書かれ,正確な死因は不明のままだった。あまりの突然のことに家族をはじめ,誰もが現実を受け入れられないでいた。
唯一,由佳は陽翔が病院のベッドの上にいるとき,死んだお爺ちゃんと同じように激しく目が動いているのを見ていた。
それは最後の映画を観ている瞬間だったのかも知れないが,それと同時に陽翔の上に見たことのない生物が座っているのも見ていた。
『お前の時間ももらいに来るよ……』
その日以来,由佳の目の前にその生物がちょこんと座り,つねに由佳を覗き込むように見ている。由佳は自分が最後の映画を観る日が近いのではないかと怯え,陽翔が亡くなってからずっと部屋に引き籠っている。
家族は陽翔の死がそれほどショックだったのかと由佳を心配したが,あの日以来,由佳は眠るのを恐れ,その生物が胸の上に座ることを恐れながら目の前で目をパチパチさせる生物をずっと睨んでいる。
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