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ハグルマ狩り
『きれいな時計ですね」
ヴィルト卿の糊のきいた袖口からのぞく、左手首の腕時計が、ふと目に止まった。
「さすがはお目が高い、ジーモン坊や」
その言葉に思わず眉間にしわが寄る。署名され捺印された書類を脇にどけながら、ヴィルト卿は頬をほころばせた。
「おや? 坊やとばれるのが不服かな。そういえば、先日成人のお祝いに呼ばれたばかりでしたね。この爺を大目に見て欲しいな。わたしは君の祖父の代からの旧知の仲だ」
首を傾けると長い白髪が、背にした窓からの光に銀色に透ける。染みや皴のないみずみずしい肌。自身を爺と言いながら、この人はぼくが幼い頃から少しも変わらない。
「こんどそちらと取引する、薔薇香碩を台座に使った腕時計です。よい香りでしょう?」
差し出された、ほのかに紅色の時計の台座は確かに薔薇の香りを漂わせた。薄い水晶の覆いの下で、金や銀の歯車が繊細に動いているのがよく見える。
「特注品ですか。素晴らしいです」
ヴィルト卿の住まうシェラーの城下町では、上質な精密機械が盛んに造られている。自動車や船舶の部品も、飛行船や飛空艇のエンジンも。すべてが一級品。これも、きっと腕の立つ時計職人が卿のために制作したのだろう。職人の粋を集めたような逸品だ。
「特別な歯車で作られているものだからね」
慈しむように、ヴィルト卿は時計を見つめた。
「ほら、青と白金の歯車が見えますか。これには物語があるのだよ」
卿は執事にお茶の支度を言い渡した。
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