第1章

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 しかし、笠原は思いとどまる。いくら世間的に関係を断つことができても、憎い人々を全員殺すことはできない。殺すのは俺を陥れた張本人たちだけでいい。ほかの奴らはとりあえず命だけは見逃してやる。そうだ。この力は本当に殺すべき相手に憎しみをぶつけるための力だ。目的のためにはある程度の我慢は必要だ。  自分のアパートに帰ってきた笠原は靴をさっさと脱いでから、ソファにドスンと座り込んだ。まず笠原が行うべきことは世界からあの会社と自分の関係を完全に抹消すること。それは復讐のためには最初にしなければならないことだった。不思議と悪魔の力の使い方は教えられたわけでもないのに自然と理解できた。これもまた悪魔の力の一つだろうと笠原は考えていた。その理解した内容からすれば、この力は多少大雑把でも対象者を頭の中に思い浮かべればその対象者に力を行使できるらしい。やろうと思えばこの世界すべての人の記憶からあの会社と自分との関係を忘却させることもできるだろう。  しかし、笠原はまだそれをしない。それはまだ笠原の中に微かな迷いがあったからだ。周りとの関係を断つことに対する迷いではなく、人を殺すことに対しての迷いだった。相手が誰であろうと人を殺すという行為に対して笠原は嫌悪感を抱いていた。それもそのはずだ。幼少期から周りからエリートと呼ばれていた笠原にとって殺人者とは自分の人生の失敗を不合理な方法で解決しようとする愚か者だった。そんな人たちに自分自身がなろうとしていることが笠原をたまらなく不快にさせていた。  そして、笠原の中にもまだ友人たちに未練を感じる心があった。  扉の向こうで何かが叩きつけられた音が笠原の部屋に響いた。笠原は慌てて扉を開ける。外の廊下には誰もいなかったが、誰かいた痕跡は扉に書かれていた文字として確かに残されていた。町の恥さらしという赤いペイントの文字として。  「またか!くそ!」  笠原は廊下を走り、階段を駆け下り、一階まで降りた。既に日が沈み闇で満ちていた路上では相手の後ろ姿しか見えなかったが、笠原は誰かすぐに分かった。  「佐原・・・今度はあいつか・・・・」  佐原紘一、笠原の高校の時の同級生だった男であり、家が近いこともあり、社会人になってからも友人として付き合っていった。だが、今では嫌がらせの主犯格だ。
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