ヤキバ

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ヤキバ

 友紀と和徳は禁忌を犯していた。ともに親から行ってはいけないと禁じられているヤキバの敷地内で網を振って虫取りに励んでいたのである。  二人の親だけではなく、この辺りの子供を持つ親なら誰でもそこで遊ぶなときつく注意していた。  親は自分の親から、その親はそのまた親から、この地に住んでいる限り子供たちは代々必ず言い含められて来た。  友紀と和徳は夏休みの宿題で生きている昆虫図鑑を作ろうと考えた。それにはできるだけ多くの種類が必要だ。  だが、セミやバッタといった誰でも捕れるようなものしか集められなかった。  友紀は考えた末、多くの樹木が茂るヤキバの敷地に目を付けた。数年前から建ち並び始めた住宅地に引っ越ししてきた友紀にとって代々続くタブーの畏怖はさほど効き目がなかった。  友紀の母親はこの地に住む和徳の母親やその他のママ友から確かに子供に伝えるべき禁忌を言い渡されていた。  そしてそれを一応友紀に伝えてもいた。  だが、母親は葬送の場所で遊ぶべからずという倫理的な意味だとただ解釈し、重要性をそれほど考えていなかった。故に友紀にもそう伝わったのである。  ヤキバに入ろうという友紀の提案に和徳は大反対した。自分は祖父母や両親から絶対に行くなと、幼い頃から聞かされている。  決まりを破ると家に帰れないぞと。  それを友紀に訴えたが、友紀は鼻で笑った。 「そんな証拠どこにあるんや。誰かそんな目に合ったんか? そんなんただの噂や」 「でも祖父ちゃんたちが言うてるもん」 「あんなぁ、大人たちがそんなこと言うんは、子供らを危ないとこに行かせんようにしてるだけなんや。だから、ヤキバの建物に入らんかったら大丈夫。あそこが一番怖くて危ない場所なんやから」  友紀の説得に和徳は納得した。 「ヤキバに行って正解やったな」  友紀は水槽型のケースを抱いてほくほく顔で家路を歩いていた。 「なあ、後ろから変な声聞こえん?」 「そうか?」  振り向こうとした友紀を、「振り向いたらあかんっ」と大声で和徳は制した。 「な、なんで?」 「もし決まり破ってヤキバへ行ったら、家へ帰るまで振り向いたらあかんのや」 「な、なんで?」 「し、知らん。知らんけど、その決まりも破ったら、玄関の敷居またぐ瞬間に後ろへ引っ張られて家に入れんのやって」 「まだそんなこと言うてんの? そやからそれはただの噂やって」  友紀は鼻で笑うと後ろを振り返った。つられて和徳も振り返る。  確かに大勢の人がひそひそと話す声のようなものが聞こえた。が、それはプラスチックの壁をよじ登るタマムシやカミキリムシ、図鑑で調べないとまだ名前の知らない虫たちの脚先が立てる音にも思う。事実、背後には誰もいない。 「なあ、なんもいてへんやろ」  二人は顔を見合わせ頷き合った。  それから奇妙な音はもう聞こえず、和徳の家の前に着いた。 「じゃ、虫は僕が預かっとくから。明日仕分けして名前と生態書いてラベル張りしよ」 「うん。じゃバイバイ」  網を持ったまま和徳が手を振った。そして玄関ドアを開け、足を踏み入れる瞬間、忽然と消えた。  友紀はそれを目の当たりにした。  虫のケースをその場に落とし、家に向かって走った。  うそや、うそや、うそや――  きっと見間違いか、和徳がいたずらをしたのだ。  だが、戻って確認する気になれない。  自宅の塀が見え友紀はほっとした。門扉を開け放したまま勢いよく玄関扉を開け「ただいまっ」と、一歩中に踏み込もうとした瞬間、首根っこを後ろからぐいっと引っ張られた。  友紀の母は門扉と玄関ドアの開く音、「ただいま」と言う息子の声を確かに聞いた。  だが、いっこうにリビングに入って来ない。いつもはお腹空いたと叫びながら飛び込んでくるのに。  聞き違えたのかと玄関先まで出てみた。  玄関扉もその外に見える門扉も開きっぱなしで放置されている。 「友紀?」  母は玄関から外へ、階段から二階の部屋へと呼びかけたが、息子の返事はなく、和徳ともどもそのまま行方が分からなくなってしまった。 「あれだけタブーを重視しておきながら、大人たちは子供に何が起きたのか、いまどこにいるのかまったくわからないわけ。  まあ、生きながらあの世に引きずり込まれ彷徨ってるなんて誰も思ってもいないでしょうね」
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