それは、夏

4/9
前へ
/9ページ
次へ
 そう言いかけた男は千奈美を見て言葉を途切れさせた。彼女も同じように返事を飲み込んだ。  劇団員コタロウ。本名、棚橋虎太郎。千奈美の元カレである。  彼女は劇場に入って数分で、すでにオーナーを引き受けたことを後悔していた。 「まさか千奈美がオーナーの娘さんだったとは」 「……軽々しく名前で呼ばないでください」  コタロウは久しぶりに友達と会ったような素振りだが、千奈美はそれどころではなかった。この微妙な距離感の居心地が悪すぎて一刻も早く帰りたかった。 「じゃあ、今は仲本さんがオーナー……なんですね?」 「……3日間だけです。この劇団の公演が終われば、このホールは長期休業になります」 「オーナー、大丈夫なんですか」 「……えぇ、まぁ」  千奈美は言葉を濁した。ここで余命二ヶ月なんていった日には、明日の公演に支障が出るのではないか、とあらぬ心配をしてのことだった。 「……じゃあ、終わったら鍵閉めに来るので、この番号に……」  これ以上はこの空気に耐えれない、と感じた千奈美は仕事用の携帯番号を渡し、このハコから出ようと体を出口へ向けた。 「あぁ!ということは、もしかして……演劇嫌いの娘さんは仲本さんだったのか」     
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加