深まる疑惑

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要さんと夏目さんの帰りをリビングのソファで待っていた私は、いつぞやみたいに、いつの間にか寝落ちしてたらしい。 「美菜!?」 要さんの酷く驚いたような声で、悪い夢を見ていた私が目を覚まして、 「……あっ、はい。お帰りなさい」 目に滲んでしまっていた雫を手で拭いつつ、ソファの上で身体を起こして横座りの体勢をとった私が、涙と寝起きのせいでボヤけた眼を、ぼうっと要さんの方へと向ければ……。 私のことをとっても心配そうな表情で、長身を屈めて覗きこんでくる要さんと、私の視線とが交わった刹那。 挨拶した私に流されて、同じように返してすぐ、ハッとしたような表情をした要さんから、怒ったような声が放たれた。 「あぁ、ただいま……いや、そんなことより。昼間に電話もらったとき、遅くなるから先に休むようにって、あれほど言ってあったのに。まだ起きてたのか? 体調が悪いのに、こんなところで(うた)た寝なんかして、夏バテだったからって油断したらいけ――」 それは、夏目さんが言いそうな、ちょっとお説教じみたお小言で。 心配性の要さんが私のことを心配して言ってくれてるのは、よく分かるんだけど……。 ずっと不安な気持ちでいた所為か、静香さんと要さんが楽しそうに寄り添っている夢を見ていた私は、要さんのお小言の途中で、身を屈めた要さんの腰に両腕を伸ばしてぐいと引き寄せ、そのままぎゅうと強く抱きついてしまっていた。 「……美菜? どうした? 気分でも悪いのか?」 そんな私のことを、今度は心配そうな声で気遣ってくれる要さんに、抱きついたままの私は、 「……心配かけて、ごめんなさい。ひとりで寝るのが寂しくて、テレビ観てたら寝ちゃってて。そしたら、怖い夢見ちゃって、怖くて……怖くて。ごめんなさい」 いつの間にか泣きながら、仕事で疲れて帰ってきたばかりだというのに、謝りながら困らせるようなことを言ってしまうのだった。 ……だって。 いつだったか、チョコレートの新商品の試食の時に風味の妨げになるからと、普段は香水なんてつけないといっていた要さん。 そんな要さんは、会食とかで社外の人間に会うときにだけ、(たしな)みとしてつけている、シプレ系の上品で落ち着きのある、いつもは私を癒してくれる筈の仄かな香水の香りを打ち消すように。 女性の甘ったるい香水の香りが、スーツ姿の要さんに抱きついた私の鼻を掠めるから、なんだか嫌な予感がして、悲しくなってきちゃったんだもん。 それが、病院で会った静香さんに握手された時に漂ってきた、甘ったるい香水の香りと同じだったから余計だ。 香水なんて、まだつけたことがないし、そういうことに疎い私にはよく分からないから、人気のある香水があったりして、匂いがかぶることもよくあったりするのかもしれないけど。 こんな風に匂うってことは、今の私のように、要さんに抱きついてたってことなんだろうし……。 アレのこともあって、寄ってくる女性が煩わしいからと、夏目さんが要さんの恋人であるかのように振る舞って女性を近づけないようにしていた所為か。 ――私が知るかぎり、こんなこと一度もなかったのに……。 それに、今日の会食の相手は、確か社長の古くからの友人がどうとかって、夏目さんが言ってたような気もするし。 なにより、要さんの元カノである静香さんの存在を知ってしまった私には、これが偶然だなんて思うことなんてできないでいた。 そうとは知らない要さんは、 「そうだったのか。そうとは知らずに怒るようなこと言って悪かった。もう分かったから、謝るな。いつもの"よしよし"してやるから、おいで、美菜」 子供をあやすように優しい口調で声をかけながら、泣き続ける私のことをいつものように優しく抱き上げ、これまたいつものように背中を優しくトントンしてくれていて。 そんないつもと変わらない要さんの優しさに、早く泣くのをやめようとしても、余計に涙が溢れてきてしまうから堪らない。 要さん、偶然ですよね?  私の思い過ごしですよね? 仮に静香さんと再会してたとしてもなにもありませんよね? 相変わらず、 「そんなに怖い夢だったのか?」 「……もう、忘れちゃいました」 なーんて、なんだか楽しそうに訊いてくる要さんの腕に抱かれながら。 私は、怖くてとてもじゃないけど、要さんに面と向かってできない問いかけを、自分に言い聞かせるように、心の中で何度も繰り返していた。
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