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三舟の才の息子
“三舟の才”という言葉がある。
平安の世に栄えた藤原家のうち、北家小野宮流の流れを汲む四条大納言・藤原公任の才能を称えたものだ。
それは時の権力者であった関白入道・藤原道長が大堰川にて舟遊びを催した折のこと。
三つの船を用意し、それぞれ漢文の舟、管弦の舟、和歌の舟、とした。居並んだ客分たちのなかから、その道に優れている者を適した船に乗せてく趣向となった訳だが、その際この公任に対してだけ、道長自らが「どの舟に乗るか」と尋ねた。どれに乗っても遜色のない実力の持ち主である公任からは「和歌の舟に乗りましょう」と、答えがあった。
そうして舟上、公任は朗々と和歌を詠み上げ、人々の賛辞を欲しいままにしたのである。にもかかわらず後になって、
「やはり漢文を作る舟に乗るべきであった。そしてこれぐらいの度合いの漢詩を作ったならば、私の名声もさらに上がることになったであろうに」
などと残念がったのだという。
一つのことに秀でているだけでも稀なことであるというのに、この男はそのように何事にも優れ、さらに出自も申し分なく立派だ。輝かんばかりの自信に満ちあふれ、その姿はまことに非の打ち所もないような方――。
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