第1章

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「同じようなものですよ」  女はモップがけに戻りました。  おれもでかいケツの女に生まれたかった。じぶんが男であることにさほど文句はないのですが、そうしたら、ペニスでピアノを弾かずともよかった。 「クララっていうんです」 「はい?」  女のまるっこい指は水槽を指していました。おれがナマズを見ていたと思ったのでしょう。まあ、ナマズもケツも似たようなものです。 「あたしはよく知らないんですけど、こういうナマズは熱帯魚屋でクララって呼ばれてるんだって。学名がそうなんだったかな」  ぴんとしたひげが立派なナマズです。クララ。クララが立った。クララのばか。  おれのペニスにひげが生えていたならば、ひげで黒鍵をたたくことができ、ねこふんじゃったを弾けたでしょうか。ナマズの白くてぬるっと長い身体はペニスよりむしろ、フランスパンに似ていた。バインミーの。 「店長がこういうの好きでいろいろ飼ってるの。あっちの店にはアロワナがいるんだけど、いっしょにはできないから分けてて……」  ハワイではちょくちょくナマズを食いました。だいたい天ぷらで、揚げてしまえば特徴のない白身魚でした。もちろんこのクララとはべつの種類のナマズでしょう。  母親は、あまり日本語がうまくありません。顔は日本人と変わりないから外出のたび苦労します。いまだに。いっぽうおれは実家を出てから英語をしゃべる機会が減り、もしかしたら少しずつ忘れていっているのかもしれない。おたがいもっと歳をとったら会話は困難になるでしょうか。おれは自分を日本人と呼びたくないときがある。  女が言いました。 「このクララ、店長がそこの川で釣ったやつなんです。アロワナもそう」 「このへんにそんなのいる?」 「飼えなくなったひとが捨てちゃうみたい。下水であったかいから熱帯魚も生きていけるんだって。あそこはもうアマゾン川なんですよ」  なるほど、川はヒーターのついた水槽になって、さまざまないきものを住まわせている。おれもそうか? ピラルクもいるか? 「それ、いま汚したやつですか。コーヒー?」  女がおれの服を見て言いました。 「シミ抜き、その場で落とせるサービスもやってますよ」  コーヒーの缶を持っていたからわかったのでしょう。おれはずいぶんまぬけな見た目らしい。五分ぐらいで済むと女は言いました。
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