紅い嫉妬と蒼い欲望

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 渇きでも飢えでも慾でもない、今夜を乗り切るだけの精気を欲している泡沫は、血の滲む肩口から顔を上げた。  朱に染まる口許を袖口で適当に拭うその顔は恍惚としている。  白い肌に映える、朱。  唇に残る血を舌で舐め取るその様を、蒼は嬉しそうに見詰めて微笑む。 「如何ですか?」  下から投げ掛けられる言葉に直ぐには返事をせず、泡沫は寝台の隣にある脇机に手を伸ばした。  その抽斗から取り出したのは綺麗な装飾が施された小さなナイフ。  何の躊躇も無しに掌に刃を押し当て、赤い線を付けていった。  ぷつぷつと滲み出す鮮血に、蒼の目は釘付けになる。  それを、ほんの僅かでも良いから口に出来たら、どんなに良いことか。  欲求を押し止める蒼を横目に、泡沫はナイフを床に投げ捨てる。  泡沫はその血液が流れ落ちる前に、自分でぺろりと舐め上げた。  自分の血を望む蒼に、見せ付けるように。  泡沫が手を下ろした時には先刻の傷痕が消え、紅く線を残すだけになっていた。 「味はイマイチだが、相性は悪くねぇな」  治癒能力の高いヴァンパイアは、多少の傷は直ぐに治す事が出来る。  失った自分の血液も、他者から吸血すれば補える。  泡沫は、その治癒能力が特に秀でていた。  泡沫がつけた蒼の首筋の傷も、数時間程経てば消えてしまうだろう。  泡沫はもう一度朱に染まる蒼の首筋を舐めて、渋い表情を浮かべた。 「若い血は苦手だ……」 「珀だって若いでしょう」 「アレは別」 「そうでしたね」 「…………」  不意に目を細めた泡沫が、蒼の名をそっと呟く。  蒼の上に乗っている泡沫の腰が、次の行為を強請って卑しく揺らめいた。  妖しい光を放つ銀色に見詰められ、誘われるままに蒼は泡沫の細腰に手を添える。  自らの上で己の主が乱れる姿を思い描くと、躰の奥から陶然とした悦びが込み上げて来た。  蒼に緩められた帯を泡沫は自然な動作で外し、それを寝台の下へと投げ捨ててしまうと白い肌が露になる。  鎖骨まで汚した朱が、より一層、際立って視えた。  まるで、すべらかで美しい雪肌に色を添えているよう……。 「泡沫様。お聞きしても宜しいですか」  躰を起こし、主の着流しを脱がせながら蒼は訊ねた。  はだけた蒼の胸に手を添えた泡沫は、情事を阻む問い掛けに面倒臭そうに言葉を吐き出す。 「ひとつだけ、な」  許しが出た事に安堵した蒼は、兼ねてから訊いてみたかった事を口にする。 「生血だけでなく精液も、という御躰、御不便ではないですか?」  それは、自分とは違う血統を受け継ぐ者に対しての好奇心なのか、それとも……。 「バァカ。だから『特別』なんじゃねぇか。下らねぇ事訊くなよ」 「すみません」  物腰こそ柔らかい蒼だが、その心が抱える闇にも似た欲望は計り知れない。  泡沫は、彼の目的を知った上で自分の傍に置いている。  それが、自分の身を危ぶむものだと知っていながら。 「ごちゃごちゃ言ってねぇで、早く俺を楽しませろ。てめぇのソレでイかせてみろよ」 「──存分に、啼かせて差し上げますよ」  香り立つ、泡沫の華奢な肢体を組み臥して、蒼は己の血で汚れた紅い唇に噛み付くような口接けをする。  招く様に薄く開いた其処に舌を差し入れ、歯列を、牙を、ゆっくりとなぞっていく。  躰に芽生える慾で熱くなった舌を絡め合わせて、息を吐く間も与えぬ様、執拗に主の口腔内を嬲り続けた。 「……んぅ、……は、ぁ……」  抑える事を知らない、とばかりに漏れる主の声に、蒼は思わず顔を上げる。  唾液に濡れた紅い唇と、欲情に濡れた銀色の瞳。  不満気に細められる銀色に、蒼は嘲笑を投げ掛けた。 「そんなに、悦いですか?」 「自惚れんな、バァカ」 「余程の淫奔な方なのですね」 「じゃなきゃてめぇなんか相手にするか……ッ」  挑発的な視線を送られた蒼は、泡沫の言葉を奪うように口接ける。  仮にも蒼は、青楼でその身を売る一人だ。  主とは言え、お情け染みた反応はされたくない。  自尊心がそれを許さない。  追い上げるように、淫猥に揺らめく腰を撫で上げて薄い胸に手を這わせていった。 「んん……っ、ぅ、あ……っ」  上気していく、躰と、躰。  重なり合う部分から、徐々に、徐々に、蕩けていく。  白い肌は熱を持ち、解放を待ち侘びて淫らに揺れる。 「ん、ァ……っ、はぁ…っ、……あ……ッ」  豪奢な寝台を軋ませて。  熱い吐息を弾ませて。  昂ぶる慾と、劣情。  弾ける慾と、痴情。  躰を支配する、快楽。  心を支配する、悦楽。  飢えと渇きを満たす血液。  躰と欲を満たす秘戯。  渇望する本能を満たす為に、誰もがそれを欲している。  例えその身を穢そうとも。  例えその身が毀れようとも。  一度知ってしまえば、抜けられない。  一度知ってしまえば、忘れられない。  中毒の様に、求め続ける。  本能の、ままに。
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