神の名を冠する人間

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神の名を冠する人間

 無意識に、手が首へと伸びてしまう。  その度に空を切る手が、何だか心許ない。  ちっ、と舌打ちをして脚を組み替えた泡沫は、ゆっくり紫煙を吐き出す。  安楽椅子に凭れて仰ぎ見る天井は白い煙で霞み、空気の淀みが視て取れる。  凭れた所為で襟足を擽る髪が、軽い苛立ちを泡沫に与えていた。  蒼に襲われてから数日。  短い部分に合わせて切ってしまった髪は少し外に撥ね、細く白い首筋が惜しげも無く曝されている。  こんなにも髪が短いのは、彼自身が記憶している中では初めてだ。  髪が短くなった分軽くなった肩に、未だ違和感を感じている。   躰は本調子ではないものの、いつまでも臥せている訳にはいかない。  店の一階、受付の奥にある執務室に籠もって、溜まった書類に目を通していた。 「──泡沫様、珀様がいらっしゃいました」  軽いノックの後に開けられた扉から、泡影と珀、そして手枷を嵌められた見知らぬ青年が一人、紫煙の香り漂う狭い室内に入って来る。  煙管を煙草盆に戻した泡沫は、軽く伸びをしてから立ち上がった。 「あれっ、どうしたんですか、その髪! 綺麗だったのに勿体無い……」 「煩ぇよ。今頃来やがって……遅ぇんだよ」 「いや、聞きましたよ。泡沫さんも酷い目に遭ったみたいですけど、俺も大変だったんですよ。でもほら、ちゃんと買ってきましたよ。泡沫さんの大好きな碧い目の男の子!」  言って、珀が泡沫の前に突き出したのは、黒髪碧眼の未だ若い人間の男。  見目は悪くないが、闇市場で売られていただけの事はあって、衣服は粗末で薄汚れ、顔や首等、露出している肌も髪も、埃塗れになっている。  値踏みするような泡沫の視線から逃げるように、人間の彼は俯いた。
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