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「帰れますか」
ホームの奥の壁沿いに行き着いて彼が言った。珍しい、と私は思った。私を見て、口調が変わらない。私の歩き方を見て、引き摺っている私の不具な右足を見て、態度が変化しない。
「はい。大丈夫です」
「大丈夫って、見えないでしょ?」
「はい。ド近眼なんで」
「どうするんですか」
「えっと」
どうしたらいいのだろう。ほんとうに。私はどうしたらいいのだろう。
「どちらですか」
「え?」
「家は」
「あ、あの、家は梅島です」
「送りますよ」
「え?」
「家まで送ります」
「え、だって」
「見えないでしょ。僕も近眼なんで、わかるんです」
ええええ。
送ってくれるんですか。
まじですか。
私をですか。
がっ。
がっと来た。
がっと。
彼の手が私の右手を掴んだのだ。私は反射的に手を引っ込めてしまう。嫌だという意味ではなかった。これは反射だ。いきなり手を掴まれたら驚いて手を引く。これは私でなくても、誰だってそうなるだろう。
けれども。
「こっちです」
彼は怯まなかった。そのまま歩き始めた。私が手を引っ込めようとしても、彼の手は私を離さなかった。それは強い力という訳ではなかった。決して強引という訳ではなかった。でも、掴まれている。そこには、何か決意のようなものが感じられた。
その手に引っ張られて、私は歩き出した。
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