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私たちは日比谷線に乗った。電車はそんなに混んではいなかったけれど、椅子には座れなかった。私は吊革に掴まって横にいるこの人をちらちらと見ていた。近眼でよくは見えなかったし、じろじろ見るのも申し訳ないと思ったし、だからちゃんとはわからなかったのだけれど。若い。それは最初に秋葉原駅のホームで中腰になったこの人を見た時から感じていた。随分若い。二十代かも。吊革に掴まってスマホを眺めている。草色のTシャツ。細い。髪が伸びている。
「あのう」
話かけてみることにした。
「どちらにお住いなんですか」
「僕ですか」
「はい」
「国分寺です」
「え、国分寺?」
「はい。国分寺」
「反対方向ですよね」
「そうですね」
「あの」
「はい?」
「もうしわけないです」
消え入りそうな声になっていた。
「大丈夫です。乗りかかった船ですから」
さらりとそう言った。感情のようなものは感じられなかった。弱者を助ける正義を遂行する自己満足感や高揚感であるとか、はたまたその反対に、面倒なことに巻き込まれてしまったという諦めや後悔であるとか。またもしくは、自分の親切を恩に着せようとする気持であるとか。私は彼の言葉から彼の心情を読み取ろうとしたが、読み取れなかった。こんなことになって良かったのか悪かったのか、その二択だけでも読み取りたかったのだが。いや。こんなことになって良かった訳がない。悪かったには違いない。どの程度悪かったと思っているのか。それを慮(おもんばか)りたかった。でもだめだった。慮れない。
彼はまた隣でスマホを眺めている。飄々としている。さらりとそこにいる。まるで隣に私がいないかのように。彼一人で電車に乗っているかのように。ただ単にそこにいる。彼が立っている。
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