真面目過ぎる私が結婚したいので<後編>

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 そして北千住がやってきた。ここで乗り換えるんです、と私は彼に言った。電車が止まり、扉が開いた。また彼の左手が私の右手首にやってきた。今度は手を引っ込めない。私は彼を受け入れる。スムーズに受け入れられただろうか。彼の左手が私を導く。そして私は電車から降りる。梅島へ行く電車は、多分一つ上のホームだ。見えますか?と聞くと、四番ですね。21:09発ですね。と彼が言う。  北千住のホームは結構な人混みだった。多分二十代の彼が、かなり年齢の大きい女性に手を添えて、連れて歩く。しかもその女性は足が悪く、右足を引き摺っている。人混みの、公衆の面前で。なんとまあ恥ずかしく、みっともないことだろう。穴があったら入りたい。私は彼の気持ちになって考えてみた。さぞかしつらいだろう。そう思って再び彼を見た。彼の斜め後ろ姿。飄々としている。恥ずかしいという感じは読み取れない。真っ直ぐ前を向いている。急いでいる感じも、焦っている感じもない。単に歩いている。単に私の手を引いている。私はそのことに少し安心をして、しばらくこの彼の左手のスマートさとスムーズさに身を任せることにした。私は目を閉じた。視覚の情報が無くなった。すると、より彼の左手の感覚が感じ取れるようになった気がした。彼の左手が少し上がる。階段だ。上りの階段が来たのだ。私は彼の左手の感覚を読み取る。そしてその感覚に合わせる。感覚に合わせて足を上げる。私は階段を上ることができる。とてもシンプルでスマート。そしてそれ故にスムーズ。今私が頼るものはこの左手しかない。彼の左手。
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