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家出か。
私は私の頭に唐突に浮かんで来たその単語を慌てて打ち消した。
家出なんかじゃないでしょ。だってこの人はアパートに住んでいるんでしょう。家出といのは大抵、実家に親と暮らしている子供が親との諍いの結果辿り着く幼稚な抵抗手段のことを指すのでしょう。だから家出じゃないでしょう。アパートに一人で暮らしている大人が家出なんかしないでしょう。する必要が無いでしょう。
待て。
一人?
一人なのか?
誰が一人だって言ったのか。
一人じゃないかも知れないじゃないか。
ううむ。
私は私が辿り着いたその疑問について、言葉にしたい誘惑にかられた。私は私の口からその疑問をこの人に向かって発する。ここにいるこの人に向かって。ここにいる小さなテーブルの前のお座布団に体育座りをしながら長い髪の毛をバスタオルで拭いている大きなオーバーオールを着た俯き加減の細身の若者に対して。あなたは。あなたはどうしてネカフェなんかに行くのか。あなたは私からお金を借りてまで、どうしてネカフェになど行こうとするのか。あなたは何故帰らないのか。あなたは何故自分のアパートに帰らないのか。あなたは何故ここに来たのか。あなたは何故先日知り合ったばかりの女性の家をわざわざ土砂降りの雨の中足立区くんだりまで訪ねて来たのか。
否。
今は聞くべき時ではない。
その考えはお腹の底の方からやってきた。それはお告げみたいなものだった。私の本能が私の頭に向かってそう告げたのかもしれない。なるほど、と私は思った。そうかも知れない。今は聞くべき時ではないのかも知れない。今それを聞いても意味がないのかもしれない。今それを聞いたとしても、その先に未来の可能性も将来の希望も何も拓けて行かないのかも知れない。
うむ。と思った。
私は私のお腹の底からやってきたその私の本能によるところの決断に従うことに決めた。胎(はら)を決めた、という表現はこういう時に使うのか、なるほど、と思った。
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