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「お疲れ様です」
「今日も素敵でした」
ひとりの美女に、人々は憧憬の眼差しを向けながら言葉をかける。
「ありがとう。皆もお疲れ様ね」
憧憬の美女……イチカは、儚げな笑みを見せながら言うと、楽屋に戻った。
彼女は中規模劇団の看板女優だ。
艶やかな黒髪に派手なパーツが綺麗に並んだ顔、そして白く細い肢体と裏腹の豊満な胸……。近寄り難いほどの彼女の美貌を、誰かは「ドールのようだ」と言った。
イチカは舞台衣装の真っ赤なドレスを脱ぐと、今流行りのキャミワンピに着替えた。舞台特有の派手なメイクを落として流行りのメイクになおすと、どこにでもいる“イマドキ女子”の出来上がり。
別格な美貌も、イマドキメッキの裏に隠れた。
別人のような姿になると、イチカはこっそり劇場から出ていった。彼女が向かったのは、渋谷駅のハチ公前。
スマホを見ると、征嗣からLINEが来ている。
“すいません、10分ほど遅れます。お好きなレストランに入って待っていてください。もちろんご馳走しますよ”
「せっかくだし、お高いところでも行こうかしら?」
征嗣からのLINEに、ぽつりと呟く。
征嗣というのは、イチカの浮気相手だ。征嗣はすらりと背が高く、整った優しい顔をしている。とても謙虚で礼儀正しい外科医である。
舞台が東京で行われている時は、彼と浮気をする。誠実な征嗣は、自分が浮気相手にされていることなど、疑いもしない。
イチカの本命は、同じ劇団員の輝真という青年だ。ただ、他の団員達には内緒にしているため、あまり恋人らしいことは出来ていない。
輝真とデートできないことについて、イチカはあまり気に留めていない。可憐な容姿の彼女だが、精神的な繋がりよりも肉体的な繋がりを重視しているからだ。
愛はホテルで密かに貪り合えればいい。イチカはそう考えている。
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