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明日は休日だ。家にいても特にすることはない。ならば久しぶりに外へ出るもの一興かもしれない。どうせ時間も金も有り余っている。電車に乗らなければならないが、少し遠出をして昔家族で行った懐かしい植物園に行こうか。たしか昔行ったのもこの時期だ。美しい色とりどりのチューリップが一面に咲き誇るその光景はしばし現実を忘れさせてくれる。特別現実に不満があるわけではないが、それでも少し、何もかもを忘れたい時がある。行ってみるのも一興かもしれない。
そうしようと明日の予定を簡単に頭の中で整理して、そうと決まれば早く寝ようと楓は用意もそこそこに風呂へと向かった。
スーツ以外の服装は少し困る。適当にシャツとパンツというシンプルな上下に少し肌寒いからと紺色のスプリングコートを羽織った。入場料を払って足を踏み入れると、記憶の中にある通りに非現実的な、ただひたすらに美しい光景が広がっていた。
赤に黄色、薄紅などのチューリップが一面に広がっていて、思わず吐息が零れた。運よく今日は青空が広がり、温かな日差しが注がれている。人工的なものではない、天然の香りを鼻孔で感じながらゆくりと楓は歩いた。殊更ゆっくりと歩いて一面のチューリップを楽しむ。
昼に入場した楓だが、気づけば閉園が近づいていた。長い時間、この美しい光景に魅入られていようだ。そんな自分に苦笑して、楓は出口へと足を進める。電車に乗る頃には、すでに日が暮れかけていた。
電車に少し揺られた後、薄暗い道を歩く。街灯もあり人通りも多いが、どこか独りポツンと歩いている錯覚に陥った。まだ非現実的な植物園を引きずっているのだろうかと苦笑して、ふわりと一つ欠伸を零した時だった。
「楓ではありませんか?」
呼びかけられた声に楓はふと足を止める。振り返れば知った声の主がふわりと微笑んでいた。
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