月夜のデッキ

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『酷い話だ。こんな美しい花を手折るなんて』  「魔女」という不名誉な噂が立つ前に、彼女は体よく追い払われたに違いない。実家からも、社交会からも。 『花、と……仰ってくださるの……』  エメラルドの瞳が揺れる。月の女神(アルテミス)の欠片を宿した双眸は、酷く魅惑的で――。 『まだ開きかけた蕾でしょう、貴女は』  見開いたままの瞳に微笑むと、ツイと顎を捕らえ、半開きの唇を塞いだ。ビクンと一度震えたが、彼女は俺を拒まなかった。柔らかな唇をなぞり、竦めた舌に触れながら、細い腰をグイと引き寄せる。顎から頬へ、更に首筋に掌を滑らせると、甘いポイントがトクリトクリと指先を誘惑する。ここに犬歯を突き立てれば――彼女は俺のものになる。 『ん――んんっ!』  不意に身を捩り、彼女は口付けを外した。瞳が月の滴に濡れている。 『離してっ』  掠れた叫びを上げ、俺の腕を振りほどくと、彼女はふらつきながら船内に駆け戻った。  彼女が立っていた床板に、銀のショールが落ちている。拾い上げて――自分の唇を舐めた。まだ彼女の余韻が残っている。 『……何やってるんだ、俺は』  再び独り切りになったデッキの上で、ほとんど変化のない乳白色の海原を眺める。微かな夜風が、思いがけず上気した頬をたしなめるように吹き抜けた。
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